病理って?
清川悦子(37回)
 
【病態生物医学】

 はじめまして。医学部を卒業したものの臨床を経験することなく、基礎医学の道を進んでいます。それ故、今まで皆さんが書かれてきたような日常生活に役立ちそうな情報は無いのですが、よい機会ですので基礎研究についてご紹介させて頂きます。

 私の場合は、大学卒業後、「病理」に入局することにしました。こういった進路は非常に稀で、100人中多くて2-3人といったところです。最近は再びインターン制(卒業後2年間、主に臨床の異なる科をローテーションする)になったので、これから更に少なくなると思われますが、一方で、MD-PhD制度(学部の途中で学位を取るために一旦普通のコースをはずれ、学位取得後に再び医師免許を取るべく普通のコースに戻る。アメリカなどでは既に施行されている)を導入する大学も出てきていますので、医学部を出て基礎研究に携わる将来の人数がどうなるのかについてはまだわかりません。
 「病理」とは多くの方にとっては馴染みのない言葉だと思います。私も医学部3年生になるまで知りませんでした。胃腸の内視鏡検査で「ポリープがあったので、悪いものかどうか取ってみて詳しく調べてみます」と言われ、数週間後に結果を告げられる・・・こういった状況は、ご自身やあるいは身近な方がに体験された場合が少なくないと思います。ここで「詳しく」調べるのが病理診断です。取ってきた材料を薄く切って、特殊な染色をし(標本と呼びます)、顕微鏡で悪性か否かの診断をします。この材料というのは外科手術で得る場合もあるし、上記のように内視鏡検査ので得る場合もあります。また、病院でお亡くなりになった場合、生前ではわからなかった病巣・死因の確定などの為に、ご遺族にお願いして解剖をさせて頂き、同様に標本を作製します。また最近では、このように得た顕微鏡診断の結果を患者さんに直に説明して、治療法の選択をするための情報提供も行なっているようです。・・・ようです、というのは、私にはこのような経験がないからです。以上述べたような業務は、病理のなかでも「人体病理」あるいは「病院病理」と呼ばれる分野で、私が属している病理は「実験病理」と呼ばれるもので、患者さんに会うことはありません。

 それでは何をしているのか、というと、元々はヒトの組織として働いていた細胞を試験管内で培養して(こういう細胞を培養細胞と呼び、購入できるのです)、GFPと呼ばれる緑色の蛍光を発する蛋白質を目的とする分子にDNAの段階で融合させて細胞に導入し、蛋白質として翻訳させ、その分子の挙動を観察して、例えば細胞が癌化し転移するときには、どのような挙動をするのか、ということを、今度は蛍光顕微鏡と呼ばれる機器で観察します。細胞の形というのは均一ではなく、元々の臓器によって異なりますし、同じ細胞でも良性か悪性かによっても異なります。この形態の異なりを見て診断するのが病理学なのですが、どのような分子がどのように働けば、形態が変化するのかについてはまだ不明なことが多いのです。また、悪性腫瘍の多くは転移しますが、その機構に関しても未だ機構が解明されておらず、従って新たな治療法を開発するにしても、どの分子を標的すべきか、すら現段階では定まっていません。とはいえ、私が行なっている研究はすぐに製薬に結びつくほどではなく、「どのようにして細胞は動くのか?形を変えるのか?」といった基本の質問の答えを見つけるべく毎日を送っています。

 もしかして、ご子息が研究者志望・・・という方もいらっしゃるかもしれませんので、最後に研究室生活の概要も述べてみます。研究室の運営は大学なら教授、研究所なら部長の好きな運営形式が取られます。構成員も大体20名程度の研究室が多いようです。修士や博士課程に進学する場合、各々が興味を持った研究室を見学・面接し、双方気に入れば所属大学の試験を受けます。その後は、就職したり海外に留学したり、と個人の資質に合った進路を各自選択していきます。我々研究者を取り巻く環境はそれほどよくもなく、とっても私は会社員や開業医の生活を知らないので比較は出来ないのですが、例えば研究職として大学や国立機関へ残るのは倍率が高く、仮に出来たとしても活性化を図るために最近は任期制(多くは3-5年)ですので、就職活動は常に付きまといます。学位を取得するまでに費用はかかりますが、奨学金の倍率は数十倍と易しくはありません。また留学したのはいいけれど、就職先がなくて帰国出来ない、という人も数多くいます。不安定さを楽しむタフさがないと、やっていけない職業だと思います。私自身、同じ場所に留まったのは最長5年弱、浜松に生まれ、大学時代も浜松で過ごし、浜松の病院に勤めることになるんだろうな~と漠然と思っていたので、こんな人生になろうとは予想だにしておりませんでした。

 読み返してみると、ややネガティブよりな進路紹介になってしまいました。でも、進路を決める際には不安材料こそ初めから認識したほうがよいのでは・・・と思うので、敢えてこのままにしておきます。下記に私の所属する研究室のホームページのアドレスを記しますので、ご興味を持たれた方は参考になさってください。
http://www.path1.med.kyoto-u.ac.jp/mm/index.htm

 

京都大学 大学院医学研究科 病態生物  清川悦子(37回)

 

   
女性にPTSDが多い理由(わけ)
白川美也子(35回)
 
【精神科】

 こんにちは。35回卒の白川です。早いもので子ども達2人は母校に入学、現在娘は卒業後法学部の学生、息子は在学中で、未だに母校にはお世話になっております。そして、昨年の夏に遅い3人目の子どもを授かり、この春から、国立精神・神経センターの治験管理室で、臨床研究の勉強をし始めました。40の手習いもいいところですが、今までの臨床経験を土台に新しいことを学べる現在を幸福に思っております。
 10年前に静岡県警の被害者対策アドバイザーを務めるようになってから、PTSD(心的外傷後ストレス障害)とその近縁の「心の傷」(トラウマ)による障害を専門にしています。今日はしらはぎ会ホームページへの投稿ということで、どうして女性にPTSDが多いのかについて考えてみたいと思います。

 米国の疫学的な研究では,アメリカ人のうち61%の男性と51%の女性が生涯に1度はトラウマ体験があり、PTSDの生涯有病率は男性の5%に対し,女性はその2倍の10%であると報告しました(Kessler 1995)。日本の研究においては生涯有病率男性0.4%,女性1.6%,平均1.1%となっており、女性のPTSD有病率は男性の4倍と高率です。若年者と中高年者の2つの年齢層でピークを示し,年齢別累積罹患率をみると10歳までに半数が発症し,20歳後半までに残りの半数が発症しています。著者らは子供時代から青年期にかけての出来事(養育体験など)と,成人してからのトラウマとなるような出来事(家庭内暴力など)がこの疾患の発症に関与している可能性があるとしています(川上2003).
 PTSDは、生命の危険や身体の保全の危機があり、恐怖や無力感を感じるという出来事を経験しているという他にはない診断基準をもつ精神障害です。大戦後も戦争を重ね、著しい銃社会である米国と日本を比べれば、PTSDの診断基準Aに当てはまる出来事への暴露率は異なり、生涯有病率が異なることはわかりますが、大人のPTSDの発症率は女性が多いという所見は,各国でほぼ一貫して報告され続けています。
 どうしてPTSDは女性に多いのでしょう?調べてみるといろいろなことがわかってきました。「女性であること」のブラックボックスのなかにはいろいろなものがつまっているようです。まずPTSDを発症しやすい、うつ病や不安障害の罹病率も多いこと、性周期をもつことで揺れ動く精神生物学的特質、PTSD発症率が他のトラウマに比して圧倒的に高い性暴力や性被害が女性に多いことなどが主な理由です。そして更に、15歳以前のトラウマ暴露によって、後のPTSD発症にいたる脆弱性が形成されることがわかってきました。
 子どもにおいてはどうでしょう。トラウマとなりうる出来事への暴露率は、男女ほぼ同じなのですが、やはり性虐待や性暴力が女児に多いのです。そのような強度の強い対人暴力被害によって、再演(被害を繰り返す)という特徴的な行動パターンが生じてきます。トラウマとなる出来事を繰り返し、何度も被害に遭いやすくなるのです。性暴力にあった女児が援助交際をするようになったりするのも、DVを目撃して育った子どもが、長じてまたDVを行うパートナーから離れられないのも、そのようなメカニズムによります。それによる累積トラウマがある人は、より強度の低いトラウマでも確実にPTSDを発症させやすいということもわかってきました。子ども虐待の存在など、子どもの養育環境そのものが外傷的な場合、特にその傾向は強いようです。
 生物学的な観点では,出生後の子ども虐待という環境と遺伝子の相互作用で発現する遺伝子多型の内のあるタイプが,後のPTSDやうつ病の発症と関連をもつという画期的な研究がでてきています(Binder 2008) (Bradley 2008). すなわち養育環境は遺伝子の発現のレベルでヒトの脆弱性に影響を及ぼしているわけです。
 私たち女性が担うことが多い育児や、子育て環境ってほんとうに大切であることを痛感します。男性の支えも必要です。このような脆弱性形成の主要な要因である子ども時代の傷つきに対して、私たち大人が対処できるのは、まずは家庭、そして子どもの共同体である学校での気づきと支援だと思います。地道ではあっても、子育て支援や教育環境における発見および支援子ども虐待への取り組みが、長期的にみれば、成人のメンタルヘルスにとっても重要になるわけです。
 もちろん子どものみならず成人も、女性のみならず男性も、皆が幸せを感じて暮らせることが何よりも大切なのは、言うまでもないことですね。

(文献「子どものPTSDとトラウマ反応における性差ー脆弱性形成の重要因子としてー」トラウマティックストレスvol.6-2より)
 

国立精神・神経センター 白川美也子(第35回)

 

   
雑感・・一人の眼科医が、この頃、しみじみ思っている事 ・・
片山由佳里(28回
 
【眼科】
・・もう、老眼。  わたしたち眼科医は、検査にも手術にも専用の顕微鏡を使いますので、その時は、問題ありません。ただし、顕微鏡下で無い場合は、老眼です!
だから、今までのコンタクトレンズの度を下げ、仕事に備えます。
帰宅時、そのままでは、運転には不十分な矯正視力!コンタクトレンズの上からさらに眼鏡をかけて帰ります。この不自由さは、なんだろう!いったい、いつから、こんなふうになったの?
かつて研修医の頃、教授が老眼鏡をかけていらした・・・教授!
もう私、そんな歳? そう。
  
ご挨拶が遅くなりました。
初めまして。28回の片山です。
初めてしらはぎ会総会に参加しました。よかった、参加して。 三味線もすばらしかったけれど、なにより、パワーをもらいました。
ふつふつと、根拠のない自信が湧いてきた・・・たとえ老眼でも、
「人生、まだまだ、これから」

・・・・そうそう、少しお役にたつために・・・
皆様方のなかに、お若いころから、ずっ〜と、同じ度数の眼鏡やコンタクトレンズをお使いの方は、いらっしゃいませんか?
肩凝り、頭痛などありませんか?
測定してみると、今の状態にとって強すぎることも多いのです。
調節力の低下は、30歳代から始まっています。
パソコンのお仕事、デスクワークの多い状況では、若い人でも、近い距離のための弱めの度数のレンズが必要です。
まして35歳〜40歳を過ぎた場合・・要注意です。
ただ、そういう方々は、なかなか度数をさげたがらないのですよね。
「老眼」という言葉に抵抗がおありになるのでしょうか。
でも、いざ度数を下げてみると「こんなに、楽なのね」「頭痛も肩凝りも良くなったわ」
という事も多々あります。
以上は、近視の場合のお話ですが、もともと遠視系の方は、さらに症状が強く、辛い場合も多いです。
少し思い当たる事のある方は、ものは試し、眼科受診を。
どうぞ、御来院を!(^o^)/

        「人生、まだまだ、これから」

 

浜松市中区高丘北1-9-10(高丘浜信北へ100m)  かたやま眼科 片山由佳里(28回)

 

   
タバコから解放される「リセット禁煙」
福地美保(31回)
 
【消化器外科・内科】

 「リセット禁煙」ってご存知ですか? 禁煙といえば、タバコを吸いたい気持ちを我慢するつらいイメージがありますが、リセット禁煙は違います。「吸いたい気持ち」が起こらなくなる新しい禁煙方法なのです。禁煙したいと思っている人や、大切な人にタバコを止めて欲しいと願う人の強い味方となるリセット禁煙の考案者、トヨタ記念病院禁煙外来医師の磯村 毅先生の講演会に足を運びました。磯村先生の講演内容の要旨をまとめてみました。
 タバコを止められない原因は、タバコに対する心と体の2つの依存です。2006年春、喫煙は『ニコチン依存の病気』と位置づけられ、健康保険による禁煙治療が始まりました。禁煙外来では、ニコチンを含んだパッチを貼ることで、禁煙開始後の離脱症状を軽減する治療法が主体です。これで多くの人が禁煙を開始できますが、半年後には7割前後の人が再喫煙し、全国的にも大きな課題となっています。さて、何ヶ月も禁煙しているのに、また吸いたくなるとしたら、体の依存が原因ではありません。何故ならニコチンはすっかり体から抜けているのですから。では、何故吸いたくなるのでしょうか。それは、心の依存が残っているからです。つまり、真の禁煙成功のためには、心のケアが必要と考えました。どうしたらいいのか・・・試行錯誤の末に生まれたのが「リセット禁煙」という方法です。パッチによる体の依存のケアと、リセット禁煙による心のケアの併用、これにより新たな治療の手ごたえを感じています。
 では今までの禁煙方法とどう違うのでしょうか。今までは、心の依存は、吸いたい衝動を深呼吸や水を飲むなど気をそらして抑える、つい吸いたくなる酒場などには近寄らないなどの方法が主でした。つまりすいたいのを我慢するのですが、我慢にも限界があります。そこで、吸いたくなる気持ち自体をなくすことができないか、これがリセット禁煙のねらいです。リセット禁煙では、客観的に自分を眺め、タバコに対する意識を変える質問が多数あります。質問を考えることで、タバコの本質に気づくのです。質問されて一つ気づいたら、次の質問を考えることで次の気づきを呼ぶ、というように“気づきの連鎖反応”を起こしていくのです。このプロセスによって、本人も気づいていなかった種々の思い込みがリセットされ、タバコに対して全く新しいイメージが生まれます。
これにより我慢も忍耐もなく、吸いたい気持ちは不思議と薄れてくるのです。また吸いたいという気持ちにもブレーキを踏みやすくなるのです。
 講演を聞くと、このタバコの本質に気づきタバコへの意識を変える質問というのが大変興味深いわけです。内容については割愛させていただきますが、共感と気づきを促す質問には、「それじゃあダメでしょ」のお説教や「そうだね、仕方ないよね」のはきちがえた受容は一切不要で、本人が出した答えが本当にそうなのか、こちらは否定も肯定もせず何らかの気づきを促すものになっているわけです。やはり自分で気づき、納得して意識改革をしていくということが重要なポイントで、禁煙に限らず日常の生活のスキルアップにも通じる手法なのだと実感しました。

 
福地美保(31回)  
医療法人 社団 正圭会
青葉台福地整形外科消化器科医院
〒439-0012  菊川市青葉台1-2-3
TEL 0537-35-3232
休診日:  金・日曜日、祝祭日


 

   
福祉施設のお医者さん
仁尾栄子(29回)
 
【小児科】

 私は現在、重症心身障害児施設で小児科医として働いております。重症児施設は、一般にはあまりなじみがないと思いますが、重度の重複障害をお持ちの方のための児童福祉施設で、医療法上の「病院」でもあります。児童といっても事実上年齢制限はなく、現在1歳から67歳まで115名の入園者の方が、緑豊かな環境の中、平和に暮らしています。
 私と重症児との出会いは、はるか昔の北高時代。当時、細江の子羊学園でボランティアをしていた私は、日曜日の午後、洗濯物たたみやそうじ、利用者さんの散歩の付き添いなどをして過ごしていたのですが、隣接する“重症心身障害児施設”なるものの存在がいつも気になっていました。なにしろ人が園庭に出ている姿など見たこともなく、しーんと静まりかえっており、本当に中に誰かいるのだろうか、というくらい、不気味な感じが漂っていたのです。
 ある日、思い切って、子羊学園の園長先生に見学を申し出たところ、「ああ、いいですよ」と即座に連れて行ってくださいました。静かな建物に入り、長い廊下を歩いて大きな病室のドアを開けると──真っ白い壁が目に冷たく飛び込んできて、いくつか並んだベッドの上には、いったいこの身体はどこがどうなっているのだろうかと思うほど、手足も体幹も変形してしまって、頭だけが異様に大きい子供たちが寝かされていました。今でしたら、飾りつけもない殺風景な部屋の中に寝かせきりにしておくようなことは考えられませんが、その当時はまだこのような子供たちに対するケアが十分でなく、ただただ命を大事に守ることだけで精一杯だったのでしょう。
 その時のショックはいいようもなく、「こんな状態で生きている意味があるのだろうか」、というのが率直な気持ちでした。ところが、そこへ若い看護婦さんがあらわれ、子供のひとりに食事を与え始めたのです。にこにことやさしく話しかけながら一さじずつ口に食べ物を運ぶ姿を、私は雷に打たれたような思いで見ておりました。一見何もできないように思えるその子供との間に深いこころの交流があるのだと気づかされ、生命が存在する、ということ自体に計り知れない価値があることを教えられたのでした。この光景は、私の原体験となって今なお脳裏に焼きついています。
 「こういう子供たちを一生懸命見てくださるお医者さんがいなくてねぇ」。帰りがけに院長先生がぽつんとおっしゃった一言が、今こうして重症児施設で働く私につながっているという、人生の不思議。運命の出会いというのは本当にあるものなのですね。

 生きるために常に医療を必要とする方々の生活に寄り添って、丸ごとサポートを続けるというこの仕事は、医療の原点とも言えるのではないかと自負しております。みんなの笑顔を見ながら、実は私のほうが支えられ、励まされる毎日でもあります。次回から、そんな障害児医療の現場から垣間見えることを少しでもお伝えできれば、と思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 
重症心身障害施設・エコー療育園  仁尾栄子 (29回)

 

   
シミ、シワ予防は日焼け止めから
石井眞澄(26回)
 
【皮膚科】
 こんにちは。はじめまして。26回卒の石井眞澄です。(旧姓 宜野座)
牧之原市静波で、夫と共に、開業医をしています。夫は内科で、私は、皮膚科です。
  卒後30年余りたってしまいました。懐かしい日々です。北高在学中は、アーチェリー部に所属していました。当時は、アーチェリー部が少ないため、先輩によれば、うまくいけば全国優勝できるかもしれない、という言葉に引き付けられ入部。アーチェリーは上手くないのに、筋トレが得意なためか、女子の部長になってしまったのですが、校内予選で上手く得点できず、大会では選手として出場できなかったものの、全国大会で優勝してしまったのでした。ほろ苦い、でもとっても楽しい部活でした。
  そんな為か、案の定、大学は落ち、浪人することとなりました。河合塾に何とか入ったものの、入寮テストで、受験番号を書き間違え、落ちてしまいましたが、塾の校舎の近くに下宿することができ、何となくのんびりと、勉強だけすればよいという環境に順応しそれも良かったような気がします。
  何とか大学も合格することができ、クラブは、硬式テニス部に入りました。勉強もそっちのけで、毎日テニスコートを駆け回り、病理の先生には、“君は、教室よりテニスコートで見かけることのほうが多いネエー。”と言われてしまいました。その為、近くのおば様方からは、“酋長の娘みたいネ!”と言われるほど日焼けしていました。私のスキンタイプは、日に焼けても赤くなるだけで、色は黒くならず又の元の肌に戻るタイプなのですが、さすがに毎日外でテニスをしていたので、“酋長の娘”になってしまったわけです。
  その後、皮膚科に入局し、紫外線が皮膚の老化に重要な役割をし、シミ、シワを作るのだというメカニズム学び、しまったと思った時は、もう後のまつりでした。30歳の時にはあまり感じなかったのですが、40歳の時には、下瞼の皮膚の細かいしわとたるみに、自分の顔がずいぶん変わったのにがっかりしてしまいました。まあ人間、歳には勝てないものです。それなりに受け入れるしかありません。それ以来、患者さんには、お化粧の下地には、必ず日焼け止めを塗ること。雨の日も、必ず塗ること。これから先、一生塗ること。SPF(紫外線を防ぐ指数)は、必ず30以上を使うこと。などを、必ず話しています。又、顔の正面は気をつけて塗りますが、耳の前の頬の部分、あごの上などは、塗り残しがあり、日に焼けやすい部分です。特に、日中の日の高い時は顔の正面に日が当たりますし、帽子や日傘などで防御できますが、朝や夕方は、お日様が横から当たるため、帽子などによる防御が効かず、頬の横の部分が日に焼けやすく、しみになりやすいのです。また、車の運転の時も、日中は、上のほうから日が当たるので、ほとんど日に焼けませんが、夕方は右側のほうから日が当たり横からの光が窓から入り、頬の横の部分が日に焼けてしまいます。私もそこの部分に、シミができてきてしまいました。また、子供さんの外遊びや、部活の応援などで、一日中外にいる時は、こまめに日焼け止めを付け足してください。午前10時、お昼、午後3時、夕方というように、こまめに塗るのがコツです。日焼け止めの効果は、正直なもので、しっかりあります。塗らないと、かなり日に焼けていることがわかります。現在、シミに対するレーザー治療も進み、まあそれなりに取れやすくなってきていますが、しみのできる前のようなきれいな皮膚には戻りません。やはり日焼け止めによる予防が一番です。タバコもいけません。紫外線と同じように、シミが増えますし、顔全体の色が、黒くなります。10年は老化すると言われています。ビタミンCは、肌の色を白くしますので、ビタミンCの多い果物などを多く取るのは良いと思います。
 紫外線による(老化による)しみとは別に、女性特有の肝斑と言われるシミがあります。それは、頬骨を中心に比較的境界明瞭なシミで、妊娠、出産、生理の時などに、濃くなります。更年期を過ぎると薄くなりますが、一番きれいでいたい(いつもきれいでいたいのですが)30〜40歳代に出現するところが、いやなシミです。ビタミンCとトラネキサムサンの内服が効きますが、ちゃんと日焼け止めを塗り、少なくとも3ヶ月は内服しないと、効果は出てきません。3ヶ月ぐらいすると、少し皮膚の色が白っぽくなったような気がしてきますし、しみの境界も少しはっきりしなくなったりします。3ヶ月しっかり飲んで余り効果がないように思えるのでしたら、内服は、やめたほうが良いと思います。やはり薬なので、むやみに長期間内服するのは、お勧めできません。かなりたくさんの方に処方していますが、副作用は、ごくまれで、ビタミンCによる尿管結石が1人と、トランサミンによる軽い肝障害が1人でした。
  前置きが長くなってしまいましたが、そんな訳で、日焼け止めでいつまでも若くありたいものです。
 
石井内科皮膚科医院 内科 石井英正:皮膚科 石井眞澄(26回)

 

   
内分泌勤務医からのお願い
後藤良重(32回)
 
【内科】

 今日は私の誕生日です。ですが、そんなことは関係なく、仕事は山積み。今、午後9時30分。やっと入院患者さんの回診と、カルテ書きを終えて、何とか家路につこうと言うところです。最近特に話題になっている勤務医の労働状況ですが、私も御多分に漏れず、毎日朝8時半から今頃まで診療して、月に2−3回は当直をする生活です。正直しんどいですが、何とか卒後22年目でも、医者という仕事に対してPUREな気持ちでいられるので、勤務医を続けています。子供も二人いますが、外科医である主人と、同居している私の両親のおかげでわが家の生活は成り立っています。
 さて、私は今のところ内分泌医です。元は膠原病など自己免疫疾患を専門としていました。病院の諸事情などで、今は、糖尿病や甲状腺疾患を主に診ています。糖尿病はご存じの通り、近年ものすごい勢いで増え続けている生活習慣病です。40歳以上の日本人の5人に一人は糖尿病です。そう、あなた、もしくは、あなたのお隣のお家の人も、聞いてみたら糖尿病かもしれませんね。軽い糖尿病を、「少し糖尿の気があるね、でも、まだ大丈夫。」なんて軽く流してしまう時代は終わりました。以前にそのような医師がはびこっていたために、今、糖尿病が重症化して、人工透析を受けている人が、年に1万人ずつ増加しているのです。それを少しでも削減するために政府から、健康日本21という企画が立てられ、メタボリックシンドロームの検診が始められることになりました。
 糖尿病はもちろん最初は痛くも、かゆくもありません。そこがこの病気の落とし穴です。胸や、手や、足が痛くなってからでは、もうどうしようもありません。病期の進行あるのみです。どちらかというと、癌より悪性です。切って取るような治し方はできませんし、一生のおつきあいです。そのような病気に、自分はもちろん、子供にもならせたくはありませんよね。ですが、今、子供たちの糖尿病が増えているのです。子供でも、大人と同じタイプの糖尿病になるのです。私は内科医で、小児は診ませんが、内科の最低年齢である16歳の糖尿病が紹介されてくるケースが増えました。大抵は、ご両親か、おじいさん、おばあさんが糖尿病です。大人がしっかり治療をしていない、つまり、生活習慣を改めていないせいで、子供にも同じ生活をさせて病気にしているのです。このところ糖尿病教室や、各研究会の講演会でお話しさせていただくときには必ず、この話をしています。「糖尿病が遺伝することはわかっているのですから、糖尿病を発症してしまった大人の義務は、次の世代を同じ糖尿病にさせないことです。」
 人類を絶滅危惧種にしないためにも、私の仕事を減らすためにも、皆さん糖尿病にならないように、なっても軽い状態で維持できるようにがんばって下さい。お願いします。

 
JA静岡厚生連 遠州病院内科 内分泌 後藤良重(32回)

 

   
私の貧血体験より
内藤直子(24回)
 
【歯科】

私は歯科医です。人様の歯を削って、金冠を被せ、歯石を取って、入れ歯を作る毎日です。また「歯科」ではありますが、実は口腔全体が守備範囲です。
そういうわけで、時に、“歯”以外の症状で来院される方もあるのです。

患者:「口の中があつい感じで、特に舌がヒリヒリするんです」
私:「なるほど…、赤いですねぇ〜。ところで、足はムクんでいませんか? 立ちくらみは? 爪見せて…、アー、反ってますね。アカンベーして……。こりゃ、貧血ですよ! 内科で診てもらいましょう。紹介状書きますね」

こんなやり取りが、結構あるのです。

さて、3年前のこと、毎年受けている人間ドックで、血中ヘモグロビンが減少し、基準値ギリギリになりました。特に気にもとめずにいたところ、半年たったころから、正に、前出の症状が出はじめたのです。今思えば、典型的な貧血症状であったわけです。ところが、次のドックの結果、かなりの貧血とわかるまで、自分自身では認識できずにいたのです。再検査を経て、栄養としての鉄分の吸収不良ということで、鉄剤を服用。現在は正常値となりました。足のむくみは働きすぎではありませんでした。
人の病気は見つけられても、自分の変化には気づけぬとは、反省しきりでありました。

 

 

   
子供の事故の防ぎ方
横山朝子(23回)
 
【小児科】

初めまして。この度、しらはぎ会クリニックの担当者の一人に依頼されました横山でございます。私は昔々の昭和43年(1968年)に天下の浜松北高校に入学し硬式テニス部に属し、勉強もまあまあしてました。その頃は女子が少なくて、50人クラスに5〜6人でした。今は半分近いのでしょうか?時代が変わりました。その後名古屋大学医学部に入学し、卒業後は小児科の医局に属し、勤務医を経て、現在は開業しています。最近はインフルエンザと胃腸風邪が流行っていますが、今回はとりあえず、ただいま、子育て真っ最中のお若い後輩や、はたまたお孫さんのお世話を頼まれることのある人生の先輩達の為に、可愛いお子様が事故に遭われない様にする為の注意事項について述べたいと思います。ご参考になれば幸いです。      

平成20年(2008年)1月18日(金)


月例・年齢
起きやすい事故
予防のポイント

新生児〜
  6ヶ月

窒息事故
布団は固めの物を選ぶ・タオルなどが顔を覆わないように気をつける。添い寝をしながら授乳しない。うつぶせ寝をさせない。
転落事故
少しずつ動いて移動していることがあるので、ベッドの柵は必ず上げておく。

 

 

7ヶ月〜
 11ヶ月

 


 

 

 

1歳〜4歳

転落・転倒
ハイハイやつかまり立ちができ動き回るようになり事故が起こりやすくなるので、防止柵を設置する(縁側・玄関・階段)。ガラスの引戸など閉めておく。ベビーカーに注意。
やけど
ストーブに柵をつける。アイロン・ポット・鍋・フライパンを手の届かない所に置く。熱い飲み物やカップラーメン等をテーブルの端に置いたりしない。
誤飲・中毒
タバコ・化粧品・洗剤・薬・アルカリ電池などをしまって置く。ピーナッツ等の乾いた豆類やこんにゃくゼリーやあめ玉などを食べさせない。
溺水
浅い水でも溺れる事があるので、浴槽の水を全て抜いておく。浴室やトイレに鍵をかけておく。
転落
ベランダに踏み台になりそうな物を置かない
交通事故
外出時、危険な場所では手をつなぐなど目を離さない。道路に飛び出す等危険な行為に対しては毅然とした態度でしかり、安全のしつけをする。三輪車や自転車に乗る時はヘルメットをつける。チャイルドシートをきちんとする。(向きや角度も重要)
けが
流しの下の扉が開かないようにする。ドアの蝶つがい・引き戸・網戸に指や手を挟まないよう工夫する。テーブルクロスはやめる。水遊びにはライフジャケットを装着。家に消火器や煙探知機をつける。家や車の中に一人にしない。歯ブラシ・フォーク・箸・棒のついた綿あめやお菓子を口にくわえたまま走り回らない。
*子供の命を守るのは大人の責任です。子供の目の高さで周囲を見回して、危険な物がないか常に確認してくださいね。*                   文責  横山朝子(23回)
 

 

   
個人情報保護法って?
成味知子(21回)
 
【眼科】

現在の東京女子医大東医療センターに11年その後、浜松に眼科を開業し早くも20年になりました。あっという間の20年でした。子育ては主人まかせでした。その年子の子供は北高にお世話になりました。現在長男は山形大6年、12月初めには卒業試験も終わり2月の国家試験が順調にいけば、浜松からは更に遠い酒田の日本海病院に就職するそうです。長女は浜松医大5年。二人とも親がお願いしたわけではないのですが、医者という職業を選択しつつあります。今でこそ女性の医師も増えてきました。私の大学では当然女性の医師が多く、その働いている姿は普通でしたので、開業した頃、入ってこられた長靴姿の患者さんに、「何だここは女の医者か」と言われ、カルチャーショックを覚えました。私が開業した昭和62年、浜松は?入野は?まだそんな時代でした

さて、日頃何か気がついたことを書くように言われました。考えた末に眼科における個人情報!について書いてみます。

眼科校医は春の学校検診、秋の就学児検診など学校保険法が指定されており、特に秋は教育委員会から日時を設定され小学校で、目の疾病及び、異常の有無について健康診断を行うことになっています。
簡単に言えば就学前の子供達が結膜炎を起こしてないかとか、斜視が放置されてないかとかの診察にでかけます。(私としては結膜炎検診は眼科専門医に求められている内容であろうか?もっと眼科医でなくてはできないこと、屈折異常対策が大切ではと思っていますが)これはさておき、とにかくこれまでは黙々と外眼部検査をしておれば頭を悩ますことなど全くありませんでした。

今年はそのうちの一校で、診察をする教室の机の上に眼科の病気のメニューのようなものが番号を振られおいてありました。それまで確かに側につく先生が、眼科の病気の漢字が専門すぎてわからず、私が書いて見せたことがあったので、てっきりその為のカードと考えていましたところ、校長先生がこられて、今まで6年生が介助していた検診を、今年は試しにそれぞれの母親がついて回ります。つきましては何か問題があれば黙って指で疾患名の番号を指差しでお願いしますと言われました。その理由は個人情報がばれるから!!でした。
思わず靴を履いて帰ってしまおうかと思いました。話もせずに指差し?。
私の外来も確かに、個人情報保護法が施行される以前は衝立もなく外来をやっていましたが、この時代それはまずいだろうと、一応壁を作りました。最も人に聞かれては困る症例では、他人に聞かれ無い所で説明していましたが。(例えば真面目そうに見える女子高校生の結膜炎が性行為感染の続発疾患ではと疑われる時など。今はそんな症例もあるのです)就学前検診の教室にも可動式のピンクの衝立がおいてはありました。来年の就学前検診をこのやり方にするのであれば、私は校医は辞退するつもりでいます。就学前検診の時、6年生のお兄さん、お姉さんがすごく僕たち大人なんだよみたいに小さな幼稚園児の世話をする光景はほのぼのとします。私はその光景を見る事が好きです。私はそれも教育の一環ではと思っていました。
今年の学校の言い分はお手伝いをした6年生が集団下校せず帰る途中、何かあった時の事も考えてと、私にしたら屁理屈としか思えない理由も述べていました。今のお子さん達は家から一人で外出はしないのでしょうか。
その日私はいつものやり方で検診をしました。説明を必要と思うお子さんにはそれなりに母親に説明をし、特に苦情はでなかったようです。確かにこれはと思うケースなら私も別部屋でとは思っていました。どうやら歯科の先生も衝立なしで検診をされたようです。それにしても黙って指差しはないでしょう。

確かに個人情報保護法が必要なのは、私も実感することがあります。夜になり今日も仕事も無事に、飯炊きもそれなりに終わりやれやれという時間に電話。「東京でワンルームマンション購入しませんか?」誰が電話でマンションを買いますか?この電話どこで調べたの?と思うとき。確かに個人情報が洩れていると思います。それと今回の学校検診の件は違うと思うのですが。何でもかんでも過剰反応は如何なものでしょうか?自分自身の反省も含めて。

 
ナルミ眼科 成味知子(21回)  

 

   
うつ病にかからないためにうつ病を知る
福地美保(31回)
 
【消化器外科・内科】

 日本では、一生に一度うつ病にかかる率は、女性で10−25% 男性で5−12%とのデータがあり、女性は男性の約2倍かかりやすいとされる。最近、社会的にも大きな問題としてうつ病がクローズアップされていて、ひょっとしたら私もそうかも?と不安になる方もいらっしゃるかと思われるが、このうつ病、時折ふと悲しい気分に襲われる、のとは少し異なる。

 医学的には、以下の症状が2週間以上続き、職場でまたは社会的に機能不全な状態に陥ることをいう。最も広く認められる典型的な症状は、1)ゆううつな気分 2)不眠・過眠 3)日常生活での喜びの喪失 4)思考力低下・集中力欠如 5)倦怠感・意欲喪失 6)無能感・罪悪感 7)食欲喪失 8)自殺志向・希死願望 などである。

 うつ病には引き金がある。過労、職場の異動、経済的な問題、家庭内不和、近親者の病気、引越し、定年退職、妊娠・出産、更年期、などさまざまであり、誰もが身近に大なり小なり少なからず抱えていることともいえる。家族にうつ病の既往歴を持つ人が発病しやすく、また年齢を問わずに発病し、近年、小児や青年期にも増加しつつある。

 うつ病の原因も解明されている。正常に脳が働いているとき、脳の神経細胞は体の他の部分へメッセージを送るために、電気信号(神経インパルス)と化学信号(神経伝達物質)の両方を用いており、それらが互いに伝達しあっている。ところがうつ病のときの体内では、化学信号を神経細胞が感知しても、電気信号が弱すぎて次の神経にメッセージが送信できない状態になり、その弱まった電気信号がうつ病の症状を引き起こす、といわれている。

 うつ病は、その発症の引き金(誘因)とメカニズムの観点から、心理療法、抗うつ薬による薬物療法もしくはその併用で症状を改善できる。あらゆる病気に共通であるが、早期発見・早期治療が大事なのはいうまでもない。上記症状が長引く場合は積極的に加療して、一日も早く快適な日常生活を取り戻すことが肝要だ。
 
福地美保(31回)  
医療法人 社団 正圭会
青葉台福地整形外科消化器科医院
〒439-0012  菊川市青葉台1-2-3
TEL 0537-35-3232
休診日:  金・日曜日、祝祭日

 

   
インフルエンザの豆知識
福地美保(31回)
 
【消化器外科・内科】

 昔、インフルエンザのことを、流行性感冒と呼んでいた時期があるので、今でもひどい風邪のことをインフルエンザと言うと思っている人がみえますが、風邪とインフルエンザは全く違います。残念ながらいわゆる風邪(感冒)とインフルエンザの明らかなる症状の見分けはできません。限りなくインフルエンザが疑われる感冒も、限りなく感冒と思われるインフルエンザもあるからです。疑いを持ったら素人判断せずに、最寄の医療機関を受診して診断を仰ぐことが肝要です。

 1918年に流行ったインフルエンザはスペイン風邪と呼ばれましたが、全世界で2400万〜4000万人が死亡したと言われており、日本でも38万人の方が亡くなっています。以後日本では1957年のアジアかぜで8000人、1968年の香港かぜで2000人が亡くなっているのが有名ですが、最近でも毎年数百人から数千人の方がインフルエンザで命を落としています。
インフルエンザで命を落とさないためには予防が大切ですが、かかってしまった時には早期の正しい診断と、早期の治療が必要となります。さいわいなことに、早期診断キット(最終の確定診断は、咽頭ぬぐい液を検査して行う方法で、15分程度で検査結果が出ます)と早期(48時間以内)なら効果がある薬があるので、正しい治療を受ければ命を落とすまでには至らないと思います。

 予防はマスク、うがい、手洗いが大事で、これだけでもかなりの効果があるといわれています。予防接種による、100%の予防効果は望めませんが、60%以上の効果はあるといわれており、かかったとしても軽くて済みます。1〜4週間おいて2回接種が一般的ですが、大人は1回でもある程度の効果が望めます。

 インフルエンザの予防接種は任意接種ですので、各医療機関によって接種料金が違いますから、電話で問い合わせてから受診することをお勧めいたします。高病原性鳥インフルエンザには、今のワクチンは全く効果がありません。もし流行することがあれば全世界で数千万人〜数億人の方が亡くなるだろうと推定されています。致死率は50%以上ですので、原因不明で死んでいる野生動物には絶対に近づかないでください。

 
福地美保(31回)  
医療法人 社団 正圭会
青葉台福地整形外科消化器科医院
〒439-0012  菊川市青葉台1-2-3
TEL 0537-35-3232
休診日:  金・日曜日、祝祭日