小春日和の11月25日に、しらはぎ会 秋の小行事
歌劇「魔笛」を本当に楽しむために!〜映像と〜音楽と〜知識と〜
の講演会が浜松北高同窓会館で開かれました。
講師は財団法人ヤマハ音楽振興会本部スタッフ 椙山知子先生です。
会員30名余、一般の方10名余りと研修室は一杯です。
講師紹介の時間を惜しんで、早速講演が始まりました。

 始めに、歌劇「魔笛」が作られた背景の解説が、映画「アマデウス」のシーンを通してありました。
 椙山先生のお話は、世界各国で上演された、演劇やオペラのビデオから、要点となる場面を集めて、画像を見ながら、解説してくださるものです。天才モーツアルトを愛し、素晴らしい音楽を、一人でも多くの人に聞かせたいとの、椙山先生の思いが伝わりました。
 モーツアルトをこよなく愛し、モーツアルトの音楽を聞き重ねた世界歴史上のオーソリティ達の直感或いは考え抜いたさまざまな言葉の一部をA3のリーフレット一杯に紹介してくださいました。

 「死ぬ」と言うことは「モーツアルトの音楽が聴けなくなることです。   …アインシュタイン

 「幸福な気持ち」から「胸が張り裂けそうな悲しみ」まで、モーツアルトは完全に音で表現しました。普通なら小説一冊をかけて書かれる内容も、なんとモーツアルトは18小節で書いてしまったのですね。   …ジェームス ガリヴェイ などがありました。

 歌劇「魔笛」のあらすじについては、Eileenの玉手箱でEileenさんが紹介してくださっています。しらはぎ会ホームページをご覧ください。
 次に、このオペラの基盤となる思想としての、秘密結社「フリーメイスン」の解説にはいりました。
 フリーメイスンは中世ヨーロッパで、キリスト教会に密かに反発する秘密結社です。始めは宮廷や城の石工組合から発生しました。必然的に男性ばかりで女人禁制の結社です。魔笛の中では男「太陽 昼間の世界 空気 火 勤勉 叡智 純粋 勇敢 忍耐 沈黙」と描かれ、女「月 夜の世界 大地 水 無為 卑怯 残酷 虚偽 不純 多弁」のどうしようもないものと描かれています。現在うかがい知る教義はむしろ人道的、人類愛的啓蒙哲学に基づいた修徳慈善の団体であったようです。
 このような思想の背景を知ると、歌劇「魔笛」はまた見方が変わるでしょう。
魔笛の中の重要なアリアを、世界の名だたる歌い手の映像で聞き比べました。
椙山先生は「どんな有名な歌手による素晴らしいと賞賛される歌でも、聞き手の体質に合う合わないがあります。
自分にとって何が心地よいか、何が楽しいかで判断しオペラを楽しみましょう。どんな解説よりも自分自身が感じることが大切なのです。そして「魔笛」は喜劇です。楽しく笑って観てください。」と結ばれました。

 1月6日アクトホールで上演される プラハ国立劇場オペラ「魔笛」が楽しみです。

 
本間惠美子 43回

“魔笛”がこんなに面白いとは思いませんでした。
月並みですが私が思った感想です。先生の思惑にまんまとはまりました。(笑)
講義を受けた帰りの車の中でまさか“パパゲーノ”の最期のアリアが頭の中を繰り返すとは思っていませんでした。音楽は決して独り立ちしているものではなく,美術,文学,詩,建築,歴史,宗教など人間の思考そのものと深く係わり合いがあるということを“魔笛”を例にとり教えてくださいました。昼と夜,男と女,易しいストーリーと天才的音楽,正反対な2つが1曲の中に混在しているすごさ,入り口はいたって易しくそれでいて死をも超越するような重厚さで包みこむ。まさにモーツァルトはそんな感じだと先生は表現してくださいました。
今回の講義は実際に鑑賞する場面が多くありました。そのなかでも特に印象に残ったのはアリアの聴き比べです。パパゲーノ,タミーノ王子,夜の女王,パミーナ,最期のパパゲーノ・パパゲーナの歌。魔笛の有名どころの5曲を世界最高峰の演出,歌い手のそれぞれで比較したのです。
録画機能のなかった250年も前から上演されているオペラはどれ一つとして同じ物はなく,それでいて毎回真新しくそして人を感動させています。それはこのストーリーにこめられているものが人間の真理をついているから。すばらしい音楽はいつまでも色あせない。むしろこれからも反映し続ける。たくさんのことを伝えて下さろうとする先生の一言一言の一部分とはいえ,わかるような気がして,この講義との出会いに感謝しました。
聞き漏らすまいと耳をそばだてて聴かせていただきました。本当にありがとうございました。 

 

山中圭子(23回)

 オペラ鑑賞は生まれて初めての体験。そもそも、クラシック音楽が苦手ですぐに子守歌になってしまうタイプなのだ。今回は、11月に椙山先生のオペラ講演会で「予習」をしているので「初めてのオペラ鑑賞」という緊張感はなかった。心配なのは睡魔だけ…。

開演前、舞台両袖にエンジの垂れ幕が下がり、舞台上では同色のエンジのギリシャ風?衣装をまとったダンサー多数がくつろいでいる。準備体操もどき動作を繰り返す人や、ダンサー同士の談笑や、ただ寝そべって休息しているとしか思えない人までいて、緊張感のカケラもない。
観客のざわめきと対照をなすピンッと張りつめた空気感が開演前の舞台の雰囲気だと思っている私には気抜けする感じなのだが、おかげでこちらの緊張感もさらになくなった。これも計算された演出なのだろうか。

「今から開演します」というアナウンスがあったような、なかったような感じのまま、勝手に動いていたダンサーがそれらしき配置になって、突然の音楽とともに踊りだした。オペラではなく創作ダンスを観ている感じ。幕間の会話から、それが導入部の小鳥のダンスとわかったが、とても小鳥には思えなかった。古典的オペラとは異質のモダンさがおもしろい。

長いダンスで、いったいどこからオペラになるの? と疑問でいっぱいになった頃、天井を隠す布かと思っていた大きな天幕が動き、天井から吊り下げられている数本のロープ操作一つでいくつものとがった小山のようになり、その間から白いブラウスと黒いズボンといういたって質素なタミーノ(王子)が登場してオペラが始まった。うれしい事に、歌に合わせた字幕が左右に出て、字幕を読みながら歌の美しさだけを感じればよかった。
その後、舞台手前が黄色、奥へいくほど黄土色、緑、青、紺とぼかし模様のように色が変化している大天幕の吊り方一つで、険しい山道、館の大広間の天井、深夜の大空など多様な情景が表現されていく。みごとな演出だった。エンジのダンサーが黒子のように天幕を操作するのも一興。

次に、三人の侍女(魔女?)が王子を助ける場面になるのだが、この侍女の登場によって、やっとオペラらしい華やかな衣装になった。声楽的なことはわからないが、デブ・ヤセ・ノッポという体型的にも特徴がある三人が中世風の個性的な衣装をまとって歌う姿はオペラっぽくて楽しかった。
その次には鳥刺しのパパゲーノが登場する。日本公演を意識してか、緑の顔に作務衣のようなツギハギ和風衣装。陳腐なのだが、道化役らしいひょうきんな雰囲気と表現豊かな歌によって、どんどん違和感がなくなってくる。

オペラらしい豪華な衣装は、他には、夜の女王と道案内役の子供たちぐらいで、あとは現代の正装のアレンジ風。後で気づいたが悪玉はオペラっぽく豪華で華麗な衣装、善玉は現代的で簡素な衣装になっていたようだ。時代考証など無視した演出に違和感が少なかったのは、そもそもストーリーがハチャメチャだからだろうか。モーツァルトのオペラだからこそできる大胆な演出?

パパゲーノ登場あたりで、予習の成果がはっきりわかる。ストーリーがしっかりアタマに入っていることはもちろん、見比べ聞き比べて感覚的に理解した場面や歌が蘇り、始めてのオペラなのに「アア、ここは良いなぁ」とか「なんか物足りないみたい…」と直感的に感じてしまうのだ。

第二部も、どんなストーリーになるのかわかっているので、その場面を天幕+若干の大道具(鏡とテーブルやベッド)でどう表現するのかを楽しめ、人の声が創造するオペラという芸術を堪能できた。今回のメンバーならではの聞き所、各人のすばらしい美声やテクニック、モーツァルト演奏の上手下手について語ることはできないが、そんな知識がなくても、優れた音楽は万人が楽しめるものだと体感できた。睡魔にも襲われず、二時間半が短く感じられた。

たった一回でオペラが好きになった…と言えばウソになる。
今まで、オペラは高い敷居の向こうにあったが、今は「チャンスがあればまた行ってみようかな」と思えるくらいには身近になった。
体験する大切さ、それ以上に、予備知識があったからこそ感じられた豊かなオペラの楽しみ方に感謝したいと思った。実践的講演会をしてくださった椙山先生に改めて感謝。おかげさまで楽しかったです。

 
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