第13回 6月16日「和菓子の日」

6月15日はしらはぎ会総会でした。2年間の副会長のお役をこの日で終えることとなりましたが、このエッセイはもう少し続けたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

私は子どもの頃から帽子が好きで、春から夏は日除け、秋から冬は防寒 と、いつもかぶっています。総会の前日、所用で上京した折、V帽子店に立ち寄りました。するとデザイナー兼制作者であるオーナーが独立して1周年ということで、記念の品をプレゼントしてくれました。驚いたことにそれは、紳士の帽子を白い練り切り、婦人の帽子を黄身餡入り薄紅外郎(ういろう)で仕立てた紅白のお菓子だったのです。作ったのは萬年堂本店で、京都寺町三条で創業、9代目のとき東京遷都とともに東京に移転したお店でした。洋装のための帽子を和菓子で表現した粋なはからいに、帽子屋さんのますますのファンになってしまいました。

その時宿泊したホテルの隣が「とらや」赤坂本店でした。のぞいたところ、6月16日は「和菓子の日」ということで、それに因んだ嘉祥(かじょう)蒸羊羹がありました。

実は私が「和菓子の日」の存在を知ったのはたった1年前のことです。京都のお菓子屋さんでは貼り紙すら見かけません。
 今回由来を調べてみましたら「嘉祥の儀」が行われていた日ということに行きつきました。起源は、承和15(848)年、国内に疫病が蔓延したことから、仁明(にんみょう)天皇が6月16日に菓子や餅を神前に供えて祈願したところ無事に収まったため、元号を「嘉祥」と改めたことによると言われています。

「嘉祥の儀」は江戸時代に最も盛んになり、幕府では江戸城の大広間に約2万個の菓子を並べ、将軍から大名、旗本など御目見得以上の諸士に与えました。宮中では天皇から臣下へ1升6合の米を賜い、公家たちは菓子屋の「虎屋」と「二口屋」で米を菓子に換えていました。
 また、庶民の間でも「健康と招福」を願う行事として、この日に嘉定通宝(当時流通していた宋の貨幣)16枚で菓子や餅を買い求めて食べる風習が広がり、「嘉定(嘉祥)喰」といわれ、欠かせない年中行事となりました。
 明治以降、嘉祥の行事はすたれてしまいましたが、昭和54(1979)年、全国和菓子協会が6月16日を「和菓子の日」として蘇らせたのです。なくなってしまった昔の行事は数多く、はかりしれません。現代に復活した「和菓子の日」がもっともっと知られるようになるといいなあと私は思います。

今回、とらやで求めた「嘉祥蒸羊羹」は黒砂糖の餡に小麦粉・葛粉を混ぜて蒸し上げた、練り羊羹とは違う素朴な食感でした。甘さもかなり控え目でとても美味しかったです。

冒頭で紹介した帽子のお菓子は、本当に食べるのがもったいなくてしばらく眺めていましたが、やはり、生菓子は本日中にお召し上がりください、ということで潔くいただきました。

   
参考文献辻ミチ子『京の和菓子』中公新書 2005
  黒川光博『虎屋ー和菓子と歩んだ五百年』新潮新書 2005
参考サイト 全国和菓子協会ホームページ

(2014.6.26記)

 
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