堀川佐江子 京都暮らし あれこれ

 

 

 

第20回 北野天満宮と「粟餅」

京都で「天神さん」と親しまれている北野天満宮は2月ともなれば、多くの受験生とその親御さんの参拝でにぎわいます。祀られている菅原道真は、右大臣にまで上り詰め宇多天皇の信頼厚く、左大臣藤原時平と共に国家の政務を統括しました。しかし、学者出身の政治家としては異例の出世をしたために、摂関政治を打ち立てようとしていた、藤原氏ににらまれ、時平の陰謀により、太宰府に左遷させられたことは、よく知られています。自宅の屋敷を去る時に、梅の木を見て詠んだ「東風吹かばにほひをこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(天神さんの境内に入る門には「春を忘るな」とありました)の歌は有名です。2年後、太宰府で失意のうちに亡くなります。
 その後、都に天変地異が起き、当の藤原時平が39歳の若さで急死。宇多天皇を継いだ醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥)、そしてその息子で皇太孫の慶頼王(時平の外孫)が次々に病死。さらに930年、朝議中の清涼殿が落雷を受け、道真の左遷に関与した朝廷要人に多くの死傷者が出た上に、その惨状を目の当たりにした醍醐天皇は体調をくずし、3ヶ月後に崩御することとなりました。このようなことが相次いでおこれば、平安時代の人でなくても祟りだと思うでしょう。清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられました。そして947年、朝廷は火雷天神が祀られていた京都の北野に北野天満宮を建立して、道真の祟りを鎮めようとしたのです。
 以降100年ほど、大災害が起きるたび道真の祟りとして恐れられたそうですが、災害の記憶が風化するに従い、道真が生前すぐれた学者、詩人であったことから、のちに学問の神様として信仰されるようになったとのことです。

さて本題の天神さんにゆかりのお菓子といえば「粟餅」です。大鳥居の前、今出川通りを渡って西にすぐのところに「北野名物 あわ餅」と看板が出ています。澤屋という屋号があることは長いこと知りませんでした。
 創業は天和2(1682)年ですが、それより44年前、寛永15(1638)年に発行された俳諧の作法書で、諸国の名産などを載せた『毛吹草』に、すでに「茶屋ノ粟餅」が記されているそうです。
 わたしの家族が天神さんの近くの床屋に行っているので、年に10回くらいはお店に寄って買ってきてくれます。今回久しぶりにお店に伺い、頂きました。店内に入ると入り口にみがかれたカエデ材の台があり、その内側に3つの容器が並んでいます。手前から、搗きたての黄色い粟餅を入れた桶、真ん中は寿司の半切りのような平たいおひつで、きな粉が、その奥には大谷焼のかめに漉し餡が入っています。注文を受けると見事な分業でまず、おばさんが粟餅をちぎって丸め、2つはきな粉のおひつに、3つは漉し餡のかめにぽいっと投げ入れます。それを13代目のご主人が細長くのばしてきな粉をまぶし、一方、12代目のおじいさんが漉し餡でくるんで一人前5個が30秒もかからず、あっという間の手早さで出来上がります。出来立てはあたたかく、粟が舌の上でとろけそうです。たっぷりかかったきな粉もおいしいですが、漉し餡好きのわたしには、そのあっさりした甘みのなめらかな感触が、ぷちっとかすかに残る粟の粒と混ざり合って、何とも言えぬ味わいです。
 奥からは粟餅を搗く音がコトンコトンと心地よく聞こえていて、そのうち新しいのが搗き上がって来ました。1回に2升ずつ、日に何回も搗くそうです。お店で頂く1人前は長いこと漉し餡3個ときな粉2個でしたが、今回、漉し餡2個ときな粉1個のセットも選べるようになっていました。でも、粟(写真下)は米の餅と違ってもたれないので、5個くらいは軽いです。戦前は一人前が10個で15銭だったそうです。それを2皿も3皿も平らげた人もあったそうな。昔の人の胃袋は違ったのでしょう。
 もちろん組み合わせは自由で、全部きな粉と注文しているお客さんもいれば、ぜんぶあんこでとお土産を頼む人もいました。お持ち帰りは本日中にお召し上がりください、と言われます。この柔らかさが命の粟餅は是非お店で召し上がって頂きたいです。

菅原道真の話に戻りますが、道真は文章(もんじょう)博士という祖父の代からの学者の家系でした。道真を祀る天満宮が学問の神様というのはよしとして、なぜ受験の神様として信仰をあつめているのか不思議に思っていました。今回調べていたら、5歳で和歌を詠み、11歳で漢文を作ったという神童で、19歳で文章生(もんじょうのしょう)に受かっているのだそうです。当時の教育制度をごく簡単に書きますと、大学寮と呼ばれる官僚育成機関で、文章博士=教授2名に対して、文章生=学生20名。そのうち優秀な2名が文章得業生(とくごうしょう)となり、7年以内に「方略試」という最高の国家試験を受けなければならないことになっていました。道真は23歳で文章得業生となり、26歳でその「方略試」を受けて合格しています。704年から931年までの230年間に、この試験をパスしたのはたったの65人ということは3年か4年にひとりしか合格していないのです。
 つまり、道真はとんでもない秀才なのでした。学問の神様だけでなく、受験の神様として祀られるのも十分納得できました。

 2月25日は道真の命日で北野天満宮では「梅花祭」が行われます。すぐ近くの花街「上七軒」のきれいどころが美しく咲き誇る梅園で野点を行います。もはや手遅れですが、梅をこよなく愛した道真をしのんでお参りし、また粟餅屋さんに寄って来ようと思います。

 

参考文献 青木直己『図説 和菓子の今昔』淡交社 2000
秋山十三子「茶店菓子 粟餅」『京のお菓子』中央公論社 1978
参考サイト 北野天満宮

菅原道真

和菓子にみる京

(2015.2.19 高25回 堀川佐江子 記)