京都暮らし あれこれ 堀川佐江子

 

 

 

第26回 和菓子のお稽古「錦玉」作りと渋沢栄一

京都の暑さは今夏も格別でした。公式発表で37℃という体温を超すような日が何日もあり、8月1日には39.1℃を記録しました。こういう時の私の楽しみは、外に置いた寒暖計を見ることです。ベランダの日向が45℃になっているのを見ると、俄然元気が出てしまうのです。私は室外と室内と寒暖計は2本しか持っていませんが、友人のご主人は3箇所に、親戚の叔父は5箇所に置いて、チェックしているそうです。上には上がいるものです。

こんな猛暑の季節、夏の京都の生菓子に「錦玉」という寒天のお菓子があります。「琥珀」とも言います。7月に虎屋で見つけたのが寒天の中でかわいい金魚が泳いでいる涼しげな生菓子でした。
 4月、6月と杉本家住宅に和菓子のお稽古に行きました。7月は祇園祭の集会所になるため、お休みでした。8月19日はこの「錦玉」を作るということで喜んで出かけました。まず、初めに寒天の中に入れるものを考えます。鉛筆、または色鉛筆を使ってデッサンする、私の苦手な時間です。金魚、入道雲、青楓が思い浮かびました。次にこなし生地を赤と緑に染め、金魚、青楓を作ります。しかし、道具がアイスキャンデーの棒のような細いヘラと爪楊枝しかなかった為、赤で金魚、緑で青楓を作る予定が全くうまくいかず、急遽スイカに変更。
 それから、先生が錦玉生地を作るのを見学します。高級和菓子材料である糸寒天7.5gを一晩水に漬けて戻したものを、500ccの水と共に鍋に入れ火にかけます。寒天が溶けたことを確認してから、350gの砂糖を加えます。ゾッとする砂糖の量です。この時、寒天が溶け切っていないうちに砂糖を入れると、寒天がきちんと溶けないそうです。砂糖が溶けたら、ザルで漉し、寒天の溶け残りや不純物を取り除きます。再び、鍋に移し替えて、強火で煮詰めます。102℃くらい(しゃもじですくって糸を引くような感じ)まで煮詰めて、型に流し固まればできあがりです。
 私たちは型に寒天液を流し入れたところで、こなし生地で作ったものを入れ、自然に固まるのを待ちました。私のスイカは端っこに寄ってしまい、うまくいきませんでした。
 先生が「錦玉」と呼んでいた寒天のお菓子ですが、私には「琥珀」の方が馴染みがありました。どう違うのかたずねましたら「同じです」との答えでした。少し調べたところ、同じ意味で使っている文献と、寒天を煮溶かし、白砂糖を加え煮詰めたものを「金(錦)玉」と言い、それを梔子(くちなし)で染めたものを「琥珀」と呼ぶという文献がありました。また、寒天は江戸時代初期、薩摩藩主島津久光が参勤交代で京の伏見に宿を取った折、宿の主人が余った心太(ところてん)を屋外に放置したことから生まれたと言われています。原料はテングサやその他の紅藻で、寒天質を抽出し、凝固させ、凍結乾燥させて作ります。寒天には棒寒天と糸寒天があり、棒寒天1本が約7.5gのため、和菓子に使う糸寒天もこの分量を単位にするようです。

話は変わりますが、近代日本を代表する実業家に渋沢栄一(1840〜1931)がいます。第一国立銀行(現みずほ銀行)を設立した他、現在の東京海上日動火災保険、東京ガス、清水建設、王子製紙、東洋紡など、600もの企業の創立や発展に尽力した実業界のプロデューサーともいえる人で、大きな功績を残しました。その人物に惹かれ、興味を持ち、東京王子の飛鳥山にある渋沢史料館を2回訪れたことがあります。
 そして、この6月、虎屋赤坂本店にある虎屋文庫資料展に行った時、運よくかつての展示会用に作られた、小冊子のバックナンバーを入手することができました。そのうちの1冊「歴史上の人物と和菓子展」を読んでいたら、終わりの方に近代財界人、渋沢栄一の項目があったのです。
 「明治37(1904)年、64歳の栄一が肺炎で一時危篤になった折、明治天皇は見舞いの菓子を贈った。四角い寒天の中に羊羹でできた赤い金魚が2匹浮かぶ美しいもので、栄一は嬉しそうに、その菓子を孫の敬三(後の日銀総裁、大蔵大臣)に渡したという(『渋沢家三代』)。虎屋が皇室御用を勤めていたことから考えて、この菓子は大正時代の絵図帳に見える琥珀羹の「蟬の小川」であろう。可愛らしい金魚の形は、栄一の心を癒したと思われる。」
 何という巡り合わせでしょう。ここで、渋沢栄一と金魚のお菓子が結びつくとは。7月に虎屋で私が見つけたのは「若葉蔭」という銘でした。現在、「蟬の小川」の金魚は3匹で、羊羹でなく錬切で作られていて特注品とのことです。

杉本家での手習いは庭に面した座敷で、自然の風を感じながらのお稽古でした。冷蔵庫がなくても寒天は固まりました。終わり頃、杉本家の三女である歌子さんが顔を出し、型から取り出した錦玉のお菓子を見て「まあ、涼やかですねえ」と繰り返しながら、写真を撮っていました。
 錦玉のお菓子は冷蔵庫で冷やす訳でもなく、常温で頂くのに、涼しげで、冷んやりと感じてしまうのが不思議です。でも歌子さんは「涼やか」と表現され、さすが生粋の京女とえらく感心してしまいました。

 

参考文献 『「歴史上の人物と和菓子」展』 虎屋文庫 2007.11
『「和菓子を作る 職人の世界」展』 虎屋文庫2011.9
参考サイト 伊那食品工業株式会社

渋沢史料館


(2015.8.25  高25回 堀川佐江子記)