京都暮らし あれこれ 堀川佐江子

 

 

 

第28回 琳派と光琳菊

今年の京都は日本美術史でいう琳派が誕生して400年の節目ということで、いくつかの美術館で琳派にちなんだ展覧会が催されています。春には高島屋で「細見美術館——琳派のきらめき」展があり、今は京都国立博物館で「琳派−−京を彩る」展、京都国立近代美術館では「琳派イメージ」展が開催中です。先週、京都国立博物館に行って参りました。
 琳派とは、江戸時代に現れた装飾的な作風を特色とする芸術の流派で、本阿弥光悦、俵屋宗達に始まり、尾形光琳・乾山兄弟が発展させ、江戸の酒井抱一などに受け継がれた芸術家の一群をゆるやかにつなぐ言葉です。宗達・光琳派ともいわれます。その源は元和元(1615)年、書をはじめ、陶芸、漆芸で名をなした本阿弥光悦が徳川家康より、京都鷹峯の地を拝領し、この地に工芸を家業とする親類縁者を集め、光悦村を営んだことです。それで、今年が琳派誕生400年という訳です。琳派は師弟関係の流派でなく、尾形光琳・乾山が俵屋宗達、本阿弥光悦に憧れ、その光琳に酒井抱一が焦がれて、確立されていった共通のスタイルのことです。

宗達、光琳で思い浮かぶのは二人が「風神・雷神」を描いていることです。宗達の方(写真上)は国宝で東山の建仁寺が所蔵していますが、行っても見られるのは精巧なレプリカです。光琳の方(写真左)は重要文化財で東京国立博物館が持っていて、こちらは見たことがあります。今回、なんと同じ部屋で両方見ることができました。今まで、同じ題材で描かれた「風神・雷神」について深く考えたことはありませんでした。光琳は宗達より100年も後の人で、尊敬する宗達の絵を学ぶため、模写したということです。直接の師弟関係を持たず、芸術家たちが自らの経験の中で、出会い選び取ることによって継承されて来たのが琳派で、つまり私淑ですね。そのためには模写という行為が重要です。
 会場で初めて知ったのは、抱一も「風神・雷神」を描いていたということです。私が行った時は、その裏面に描かれた重要文化財「夏秋草図屏風」が展示してありましたが、10月27日から11月8日までは、三人の「風神・雷神」が一室で見られることになっています。なんと贅沢なことでしょう。「早く行きすぎて、惜しいことをした」と思いましたが、「待てよ、みんな同じことを考えるからその13日間は人の頭の上にチラッとしか見られないのでは?」と負け惜しみを言って、あきらめることにしました。

光琳と乾山は琳派誕生からおよそ100年後の元禄時代、京で壮年時代を過ごしました。尾形家は洛中でも指折りの高級呉服商「雁金屋」を営んでいました。雁金屋とは浅井長政の娘で3姉妹の淀君、京極高次夫人、徳川秀忠夫人、そして秀忠の娘、和子(まさこ)が後水尾天皇に入内してからは、その衣装も調達したことで知られます。しかし、中宮和子、後の東福門院の没後は最大の顧客を失ったことで、次第に振るわなくなり、光琳は絵画漆芸に、弟の乾山は陶芸に自活の道を見いだします。
 光琳の描いた図案は当時の着物、「小袖」にも使われました。光琳梅、光琳菊、光琳松、光琳水があり、いずれも写生から脱し、形の単純化と大胆な構図が特徴となっていて、『光琳ひいながた』等が代表的な雛型本として挙げられます。在世中のみならず、むしろ没後により隆盛する現象が見られ、100年、200年を経ても忘れられることなく、江戸の抱一にも引き継がれ、明治・大正・昭和と途絶えることなくアートの世界に息づいています。京都国立近代美術館で開催中の「琳派イメージ展」では、池田満寿夫や田中一光、その他多くの作家がモティーフに取り入れているのを見ることができました。
 そして、和菓子の世界でも同じです。今回取り上げた「光琳菊」は尾形光琳が手がけた能衣装「菊花流水紋縫箔(きくかりゅうすいもんぬいはく)」の菊模様に在を得たと言われます。こし餡を包んだ真っ白な薯蕷饅頭に葉1枚を緑に染め、上は少しくぼませています。同じ作りで、店によって銘は「饅頭菊」、縁起を担いで「萬壽菊」「万寿菊」と様々です。写真上は拙稿の第7回 花街の事始めと「試みの餅」で紹介した東山区の松寿軒の「万寿菊」です。
 光琳の意匠は一筆書きの丸に点のような単純なもので、着物の文様のみならず、暖簾、風呂敷、また漆工芸の蒔絵となり、乾山との合作の角皿にもなりました。写真左は狂言の茂山千五郞家の「光琳菊文様肩衣」です。ネット上よりお借りしました。
 いろいろなお店で光琳菊の銘の和菓子を探してみたところ、薯蕷饅頭が多く、たまに形が同じで薄桃色の羽二重餅、中は白あんのものもありました。写真右は第23回 還暦同窓会と「落とし文」で取り上げた塩芳軒のもので、右が「光琳菊」、左は「菊日和」という銘でした。近所に住む友人が購入して写真を撮ってくれました。「銘」の決まりはなさそうです。松寿軒では同じものを年によって変える時もある、ということでした。
 先日、川端道喜の知嘉子さんの講演を聴く機会がありましたので、「光琳菊」のことを質問しました。すると「川端家に伝わる菓子見本帳にはあるが、今は作っていない。重陽の節句の頃、菊花餅を作る。それは餡を餅でくるんでヘラで八等分の筋をつけ、真ん中に焼き印の反対側を使って小さな丸を捺す」というものでした。また、第11回 桜と花筏 で教えて頂いた、裏千家の師匠をしている東京の友人にも聞いてみました。お稽古で使うお店の「光琳菊」は練り切り製で、上に大納言が1粒乗っているそうです。

琳派400年の展覧会から沢山教えてもらった10月です。そして、いっぱい美味しい思いもさせてもらいました。

 

参考文献 淡交社編集局『今月使いたい茶席の和菓子』淡交社 2011
『琳派−−京を彩る』図録 京都国立博物館 2015
尾形光琳『光琳図案図録』 芸艸社 2005
参考サイト 細見美術館 琳派のきらめき——宗達・光琳・抱一・雪佳

(2015.10.25  高25回 堀川佐江子記)