3月3日はひな祭りです。ひな人形を飾って女の子の無事成長と幸せを祈る日。中国からの故事にならったもので大変古くからの行事です。
日本書紀には「上巳のはらい」と称して水辺で宴を催し「曲水(ごくすい)の宴」をしたと記されています。これが3月3日のことです。平安時代この曲水の宴は川の流れに盃を浮べて自分の前を通り過ぎないうちに詩(うた)を読み酒を飲む風流な文人の遊びとなりました。現在この古代行事は、京都の城南宮や浜松の万葉の森公園、平城遷都1300年祭のイベントなどで再現されています。
この上巳の祓えの曲水の宴と人形(ひとがた)が結びついたのは源氏物語に出ています。光源氏が上巳の節句に海岸に幕を張り陰陽師を呼んで「はらい」をしてもらうことになり大きな木の人形にわが身のけがれを移して舟に乗せ海に流したくだりがあります。「流しびな」のルーツです。私は三女でしたので、姉達の病のたびに平癒を祈って皆んな流されてしまいました。祖母がかわいそうだからと私に大きな「這子(ほうこ)様」(おかっぱの日本人形)を送ってくれました。
赤ちゃんに人形を送る風習は平安時代 公郷の間で生まれ、今のように初節句の祝いに嫁の里方から婚家へ人形を送るようになったのは明治時代からです。飾っておく期間は昔、雛市の立つ2月25日から3月3日まで。早くしまうのは女の子が出遅れないようにという願いが込められています。
ひなを飾るようになったのは室町時代からで室町びな、寛永びな、立ちびななどがありますが、時代や家柄によって格差があります。現在の豪華な御殿びな飾りは宮中のお祝いの宴を再現したものです。
ひな壇の脇には桃の花を飾ります。桃の木は兆(きざし)を持った木として未来を予知し魔を防ぎ数としても多数(多産)を意味し聖木とされています。
鬼退治に行ったのも桃から生まれた霊力を持った桃太郎です。
又、実は不老長寿の仙果といわれ、桃色の果実の形状が女性のシンボルに似ていることから女の子の魔よけと幸せを祈って、昔は娘が桃割れ(髪形)を結いました。私も高校卒業と同時に父の希望で桃割れを結いました。箱枕をかって寝ましたが、とても苦しくて昔の人は大変だったと思ったことです。
供え物はお白酒、菱餅、ひなあられ、金平糖、他に生きた「さざえと蛤」です。お白酒は餅米の酒、菱餅はインド仏典の説話にちなんだもので、女子の命を救ってくれた菱の実に感謝してその実で餅をつき、その形の菱形の餅を供えます。さざえは男性、蛤は女性です。
昔、「貝合わせ」という遊びがありましたが、二枚貝は一対でないと蝶つがいが合わないことから女の子が一度の結婚で幸せになるようにと願ったのです。
行事食としては、神様には餅を供え、私達はうるち米をいただきます。
昔は赤の御飯(うるち米に小豆の入った御飯)とひなの汁(白味噌仕立ての紅白つみれと蕪の味噌汁)、他に白魚椀や手まり麩と春野菜の炊き合わせ、さざえや蛤の焼き物でしょうか。
また、「いただき」といってひな人形を頂いた方へのお返しとして草団子に小豆あんこを半量ずつ入れた重箱を持って上がったようです。戦後も和菓子屋さんで折箱で売られていました。
現在、ひな祭りのご馳走はちらし寿司と蛤の吸物でしょうか。さざえのつぼ焼きも添えてみます。ちらし寿司は大きな桶(器)で供され皆んなで取り分けていただく共食の象徴です。そしてお客様の前で食事のマナーを学ぶという意味もあったようです。 |