舞阪漁港を控えた浜松地方は鰹の消費量が日本一多い所です。この土地で育った人々は初夏の初鰹(もち鰹)から秋の戻り鰹まで大好きで、どこのお店に行っても「お刺身は?」の問いに「鰹」と答えるのです。父の口ぐせは「浜名湖で生まれ育ったら鰹と鰻ぐらいさばけにゃいかん」で、小学校の頃より手ほどきを受けました。昔は大漁旗を立てて鰹舟が帰港すると、漁師のおかみさん達がリヤカーに一杯鰹を積んで引き売りに来ました。山育ちの母は、毎日のようにせがむ私を嫌やがり「あなたがおろすならいいわ」というので、鰹の尾をふって「もち鰹」を選び出し、買い求めました。こんな訳で、教室でも鰹料理の時は一尾おろして調理しています。
江戸時代、鎌倉の沖で釣った鰹をその夜江戸で食することはぜいたくの極みでした。「女房を質に置いても初鰹」といって、江戸っ子は鰹と勝男の語呂が気質に合い、鰹を食べることは粋で誇りであったようです。生徒さんに「貴女はいくらで質草になってあげる?」と聞くと「私は早く出してもらいたいから安くていいわ」と言うのです。当時の鰹は一尾2〜3両、女房の年間給金2両、中村歌右衛門が3両で買ったと記されています。
鰹は世界中の温帯から熱帯にかけて広く棲息する回遊魚です。とれる時期によって脂の含有量は違いますが、ビタミンDの多い魚で100gで一日の必要量がとれます。血合い部分には鉄分やビタミンCが含まれています。加工品の鰹節の歴史は古く「古事記」に記されている程で、紀州にその端を発します。旨味成分のイノシン酸は昆布のグルタミン酸と並んで日本料理の「だし」の材料として欠かせないものです。武家社会では「勝武士」として尊ばれ、縁起物として出陣式などの行事に重用されました。この風習はやがて一般にも広がり、婚礼などの祝儀の引出物として用いられるようになりました。今は簡単な削り節となりましたが、美しく包装されて入学、就職、快気などの内祝の品として重宝に使われています。このように鰹は昔から日本人にとって、ゆかりが深くその上親しみやすい大切な魚なのです。 |