第20回 母の日
目に青葉・・・
5月第2日曜日は母の日。常日頃の母の苦労を慰め、深い愛を讃えて感謝する日です。母が健在ならば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを胸につけて花束を贈り感謝の心を届けます。
書物によれば5月第2日曜日を「母の日」と定めたのは1914年のアメリカに始まります。アンナという一人の女性が母を讃える記念会を開きました。これが大衆に受け入れられ、ウィルソン大統領をも動かし議会の決議を経て国民の祝日と定められたと記されています。
日本ではキリスト教会の働きかけ等によって次第に広まり、昭和24年頃より母の日として定着したようです。昔日本では、5月5日は女の日と言われました。「女三界に家なしといえども、この日一日だけは女に家があった」と記されています。三界とはこの世のことで欲界、色界、無色界を指す仏語です。5月は皐月といい、丁度田植えをする早苗月です。田植えの前に早乙女は田の神を迎えるために巫女(みこ)になって菖蒲や蓬でふいた屋根の下、草のしとねで一夜おこもりをして身を潔めました。これが5月5日のことで「女の家」といったと記されています。一夜休息をとったのでしょうね。そして次の日から紺の単衣に紺の手甲をして緋のたすきがけ、菅笠をかぶって晴々と早苗を植えました。5月に母の日があるのはこの女の日からではないかと思われます。昭和23年の「祝日法」によれば5月5日は「子どもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」と明記されています。こどもの日と共に母の日でもあります。
鰹の刺し身(大皿盛り)
作り方

土佐の方から黒潮に乗り群れをなして北上してきた鰹は、目には青葉の頃に水揚げされます。この頃しばしば一尾のまま台所に到来するので丸ごと調理してみましょう。私流のさばき方です。鰹は捨てる所はまったくありません。また木の芽あえも添えてみました。


材料(6~8人分)
・・・
1尾 2Kg
(4節 800g)
新玉葱
・・・
1/2個
胡瓜
・・・
1本
うど
・・・
1本
あさつき
・・・
5本
生姜
・・・
1かけ
にんにく
・・・

3かけ

醤油
・・・
適量

① 頭の両側のひれの堅い皮の部分を大きく薄く削り取りながら頭を切り落とす。
② 腹の部分の身を大きく三角形に切り落とす(はらも)。塩焼きにする。
③ 腹わたを取り除く。頭の腹側の下に心臓があるので取っておく。
④ 腹わた、頭は大鍋に入れておき、刺し身を作った後に水を加えて煮て、冷めてから夏みかんの木(果樹)の下に埋め、肥料にする。
⑤ 腹わたを除いたら直ちに水洗いしてきれいにし、水気を取る。
木の芽あえ

⑥ 鰹が泳いでいる姿にして尾を持ち、背びれの両側にそって尾の方から頭の方に向って出刃包丁を入れて、背びれを落とす。
⑦ 骨にそって包丁を入れ、三枚におろす。4つに節取りする。
⑧ 中央の血合い部分は骨のついた部分だけ切り落として、血合いのついたままの背節は皮を引く。腹側はしま目模様の皮のついたまま使う。
⑨ 玉葱はスライス、胡瓜は桂むきして笹の葉切り、うどはあやめ切り、あさつきは小口切り、生姜とにんにくは各々すりおろす。
⑩ 節取りした身を1~1.5cm厚さの平造りにする。⑨を添えて盛る。
 
~小話~

舞阪漁港を控えた浜松地方は鰹の消費量が日本一多い所です。この土地で育った人々は初夏の初鰹(もち鰹)から秋の戻り鰹まで大好きで、どこのお店に行っても「お刺身は?」の問いに「鰹」と答えるのです。父の口ぐせは「浜名湖で生まれ育ったら鰹と鰻ぐらいさばけにゃいかん」で、小学校の頃より手ほどきを受けました。昔は大漁旗を立てて鰹舟が帰港すると、漁師のおかみさん達がリヤカーに一杯鰹を積んで引き売りに来ました。山育ちの母は、毎日のようにせがむ私を嫌やがり「あなたがおろすならいいわ」というので、鰹の尾をふって「もち鰹」を選び出し、買い求めました。こんな訳で、教室でも鰹料理の時は一尾おろして調理しています。

江戸時代、鎌倉の沖で釣った鰹をその夜江戸で食することはぜいたくの極みでした。「女房を質に置いても初鰹」といって、江戸っ子は鰹と勝男の語呂が気質に合い、鰹を食べることは粋で誇りであったようです。生徒さんに「貴女はいくらで質草になってあげる?」と聞くと「私は早く出してもらいたいから安くていいわ」と言うのです。当時の鰹は一尾2〜3両、女房の年間給金2両、中村歌右衛門が3両で買ったと記されています。

鰹は世界中の温帯から熱帯にかけて広く棲息する回遊魚です。とれる時期によって脂の含有量は違いますが、ビタミンDの多い魚で100gで一日の必要量がとれます。血合い部分には鉄分やビタミンCが含まれています。加工品の鰹節の歴史は古く「古事記」に記されている程で、紀州にその端を発します。旨味成分のイノシン酸は昆布のグルタミン酸と並んで日本料理の「だし」の材料として欠かせないものです。武家社会では「勝武士」として尊ばれ、縁起物として出陣式などの行事に重用されました。この風習はやがて一般にも広がり、婚礼などの祝儀の引出物として用いられるようになりました。今は簡単な削り節となりましたが、美しく包装されて入学、就職、快気などの内祝の品として重宝に使われています。このように鰹は昔から日本人にとって、ゆかりが深くその上親しみやすい大切な魚なのです。