お供え、お餅・菊酒・栗ご飯 
9月9日は重陽の節句。お年寄りを敬愛しお祝いする日です。

陽の数とは奇数のことで、陽の最高の数の「九」が重なった日を重陽といい五節句の最後の節句です。他にも陽の数は子供の七五三や結婚式の三三九度などに示されるように慶事に使われています。「十」は数の頂点ですが、満つれば欠くという考え方から好ましくないとして「九」を最高の数、天子の数として神聖視しました。皇太子(浩宮)様と雅子様の御成婚も6月9日(平成5年)です。

重陽の節句は菊の節句とも言われ、菊の花びらを浸した菊酒を飲んで長寿を祝いました。「菊のきせ綿」といって、前の晩に菊にかぶせて露にしめらせた綿で体をふくと長寿を保つと言われました。山椒の実を入れた赤い袋を柱につるし邪気を払う呪いもしました。

観菊の酒宴が催されたのは天武天皇(686年)の頃からといわれています。昔からこの日には神に感謝してお供えをしました。奈良時代には菊酒、はすの実、酢年魚(鮎のなれずし)です。又、御神酒に菊の花を添え、お餅をつき、栗御飯を炊いて供え親類や知人と会食する「オクンチ」と呼ばれるお祝いの習わしもありました。丁度この頃、芋や豆、粟や栗などの初物が出揃うので、神に供え畑作の収穫を感謝すると共に稲作の豊穣を願ったのでしょう。

江戸時代からは菊酒を飲み、とろろ飯を食べました。江戸時代に入ってようやく庶民が麦を食べることを許されるとお年寄りが麦飯をのど越しよく食べる方法がとろろ飯だったのです。自然薯は昔から長寿の薬といわれ麦飯を丸飲みしても消化される良い食べ物として尊ばれていました。今もお年寄りの好むものです。

重陽の節句は昭和41年からは9月15日が敬老の日と定められ、人生の先輩として多年に渡って社会に貢献したお年寄りを敬愛しお祝いする日になりました。今年は9月19日です。

菊の花は皇室の御紋章でもあり、日本人にとって最も尊ばれる花です。今回は菊の花や山の芋、長芋を使ってお料理を作ってみました。敬老の日の献立も掲載しました。献立の中の「子持ち鮎有馬煮」と「とろろ汁」は写真を載せましたのでご覧下さい。


菊の花と長芋の和え物

菊の花と長芋の和え物 
材料(6人分)
黄菊(阿房宮)  

 

・・・
5輪
紫菊(延命楽)    
・・・
5輪
貝割菜    
・・・
1パック
小鯛笹漬け    
・・・
6枚
長芋    
・・・
200g
A 
梅酢
・・・
各 大2
みりん
砂糖
大根
 
・・・
400g
B
 
・・・
大2
砂糖  
・・・
小2
みりん  
・・・
小1
 
・・・
小1/3

 

① 菊の花は色別にしてパラパラにほぐし、酢少量を入れた湯で茹でて水にさらし笊にとる。
② 貝割菜は根を取り半分に切る。
③ 小鯛は1枚を3切れにする。
④ 長芋は皮をむいて5mm厚さの輪切りにして菊型でぬき、Aの中に染まるまで漬ける。
⑤ 型ぬき後の芋は適当に切る。
⑥ 大根は少し目の粗いおろし金でおろし、裏ごし器の上にのせ、軽く水けを切り、Bで調味して①②③⑤を和える。

⑦ 鉢に盛り④を散らす。

 
*敬老の日の献立(例)
祝い酒  ・・・菊酒 清酒、菊の花びら
向付 ・・・こはだの酢〆そぎ作り

秋茗荷、軸三つ葉、山葵、割り醤油

吸物 ・・・松茸の土瓶蒸し 車海老、鶏ささ身、カマボコ、三つ葉、すだち
焼物 ・・・子持ち鮎有馬煮 実山椒
和え物 ・・・菊の花と長芋 材料・作り方・写真は前掲
・・・麦飯  
・・・とろろ汁   卵、だし、菊の花びら
子持ち鮎有馬煮
とろろ汁
 
〜小話〜

「九」についての失敗

教室の庭の大きな雌松

私の教室は昭和3年築の古い古い日本家屋です。長い廊下の格子は手焼きのガラスがはまっていて、今は懐かしい貴重なものですが、この「古屋の守り」は大変です。生活はしていないので改装した5部屋を使って授業をしていますので広さは充分なのですが庭がなかったら風情を留める事ができません。ですから庭の手入れは年3回程度しなければなりません。

ある日の庭屋の親方との会話です。
「この松の木が邪魔なので切ってね。」と言い、私は外出。帰宅後、
「すっきりしたわね。でも洋間がまる見えで間が抜けた感じ。」と言うと、親方は
「間が抜けたとはこういう事。」と言う。そして私を門柱の所につれて行き、
「ここにアリドウシという木が植わっているね。」
「えっ、アリが通るの?」と聞くと、親方は
「隣に、千両・万両の木があるね。」と。
その会話を聞いていた息子さんが、松の木の上から
「うちのじいさん(明治時代の人)が造ったので庭の体裁が整っている。千両・万両が有りどうしの家であるように。」と、解説してくれる。

アリドウシ

はっと気付いた私は松の木を始めて数えてみました。雌松と雄松の大きな木が交互に植えられ9本あったのです。それを私は1本切ってしまった訳で、親方は
「奥さんが居れば枝だけ落としておこうと思っていたが、施主に言われたので仕方なかった。」と言う。
「親方、最初から教えてね。縁起が悪くなってしまったから小さな松を切り株の所に植えて、又9本にしてね。」というわけです。

作庭も法則があり「九」にこだわっていることを知ったのです。

ちなみにこの「アリドウシ」の木は花博(平成16年)の折、昭和天皇の館で植物の押し花の標本の、その一番最初に額に入れられていた木です。こんな庭屋とのやりとりがなかったら、まったく気にも留めなかったでしょう。古くから尊ばれ、今はまぼろしとなりつつある木であったのです。