11月1日は神立ちの日です。
実家では神棚を清め、榊、お灯明、三方にのせた朝食を差し上げ、家の神々を出雲へお見送りします。手造りの藁苞(わらづと)にお赤飯をつめて、お弁当にして路銀(旅費)をお持たせします。
父は「朝寝坊してお見送りが遅くなりました。(朝6時なのに)会議に遅れないように飛行機で行って下さい(当時、飛行機便はありませんのに)。」と言って路銀(お金)を多めに包み、神棚にお供えしていました。「出雲大社では、そちらの国に良い婿殿はいないか?良い嫁御はいないか?と縁結びの会合なのだよ。」と言って、父は6人の子どもが幸せな御縁がいただけます様にとねんごろにお祀りをしていました。
幼少の頃父に尋ねました。「打ち出の小槌を振ると欲しい物が何でも出てくるの?大きな袋の中には何が入っているの?」と。
父は「自分の仕事を一生懸命やっていれば袋の中に宝物が一杯になるんだよ。宝物はお金ばかりじゃなくて、目に見えない財産かな。」と、教えてくれました。
さて私ども夫婦は10月10日から2泊3日かけて出雲に旅をしました。私はかねがね出雲行きを望んでおりましたので「神立ち」を書くに当たってチャンス到来です。実は隣り町の岐佐(きさ)神社に祀られている蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)が、神在月に出雲大社の瑞垣(みずがき)の中に本殿と並んで天前社(あまさきのやしろ、宿社)を頂いている位の高い氏神様と伺っておりましたので、ぜひ見てみたいと思っていました。古事記によればこの神々は大国主命のお命をお助けになられたと記されているので、特別待遇なのだそうです。この間、八百万の神々は小さなお社(宿社)でお泊りになられるとのことです。
樹齢300年余りの松林の参道を歩き大鳥居をくぐって荘厳なたたずまいの境内に入りました。国宝の本殿は60年に一度の屋根の大修理「平成の大遷宮」中ではありましたが、神楽殿にて祝詞(のりと)を頂き玉串を捧げ「二礼四拍手一礼」の正式参拝を致しました。広大な大社の森の霊気を感じながらあちこち見学致しました。
瑞垣の中は見ることができませんでしたが、境内概略図によって岐佐神社の神々の宿社、天前社を知ることができました。諸神は境内の小さなお旅社・東西の十九社(じゅうくしゃ)に宿泊され、連日お祭りがなされるのだそうです。この神在祭の期間、土地の人々は静粛に過ごすといいます。そして10月17日にお旅社の戸が三度叩かれたのを合図に神々は国元へお帰りになります(神去祭)。
大修理を終え、拝殿に移されている祭神の「ダイコクさま」が本殿にお戻りになられるのは平成25年(2013年)5月10日(正遷宮)とのことです。 |