食糧事情
戦前、日本は世界の一等国だと教えられていました。戦争が始まり、終戦を迎え、大変窮乏な生活を余儀なくされました。食べ物は何にもありません。「本当に一等国だったのかしら」と思ったことです。
政府は食糧増産にせまられ、又、アメリカのGHQの指令の元、民主主義の理念からか、小作人に土地を持たせる、いわゆる農地解放の政策を打ち出しました。不在地主の土地は没収されるので、大地主に頼まれて、一家で畑仕事をすることになりました。寒い冬に麦踏みをし、夏に刈り入れをし、脱穀して石臼を挽いてふるいにかけ、ふくらし粉を混ぜて蒸しパンを作りました。そしてこの麦の根っこの2列に、土を盛って畝(うね)を作り、さつま芋の茎を差しました。秋、さつま芋の収穫の時期には、その横できびの穂がさらさらと音を立て、粟は重そうな穂を垂れていました。こうりゃんもほんのり赤くさらさらと実っていました。
又、裏庭では、冬は白菜や葱、夏は茄子、胡瓜、トマトは勿論、カボチャは成り花が咲くのを待って雄花を受粉させ、わらで結んで大きくなるのを楽しみにしました。これらの肥料は枯葉や野菜くず等を自然に腐熟させた堆肥(たいひ)といわれるもので、まさに自然の力を最大限に利用した農法の有機農産物だったのです。化学肥料はなかった時代ですが、現在もJAS法によって有機農産物は化学肥料は禁止されています。今思えば、こんな農業体験が作物の旬を知り、料理の仕事にとても役立っています。
屋敷内にはさくらんぼ、いちじく、びわ、桃、夏みかんの木などが植えられていましたので果物と野菜には困りませんでしたが、お米は大変困りました。
お国からはジャガ芋ばかりの配給で「かて飯*」どころではありません。
次は小麦粉の配給で毎日が「スイトン」。白いご飯は「銀シャリ」と呼ばれ、夢の食事だったのです。東京の大学に行く時も(昭和30年)、お米の配給通帳を持って行かないと下宿屋に置いてもらえないという有様でした。戦後しばらくしてパン屋(カメヤパン)が店開きして、この小麦粉を持って行くと「パン」と交換してもらうことができました。又、お寿司屋(山本亭)にはお米一合持って行くと「お寿司一人前」が売ってもらえました。
お米の配給制度は私が結婚(昭和35年)する頃もありました。夫が東京の下宿を転々とする間に紛失してしまい、昭和36年に長男が生まれると、私と息子の母子家庭の通帳となり、二人分のお米しかもらえませんでした。その後は徐々に自由に買えるようになり、昭和38年には一人1年間のお米の消費量は120Kg(2俵)となり、充分満足となりました。そして平成20年には年間一人60Kg(1俵)と半減し、更に今、減少の傾向にあります。日本はみずほの国ですから主食はお米です。一日二回はご飯を頂きましょう。一日お茶碗中盛り4杯は最低必要量です。
日本の食糧自給率はカロリーベースで40%と先進国中、最下位となっています。
日本はもともと農業国でしたから、休耕田(埼玉県と同じ38.6万㎡)を失職した人々がファーマーズ・パラダイスのような共同体を立ち上げて農作業をして頂けるといいと感じています。長野県川上村のレタス農家はこのような方法でとても高収入を得ていて後継者も育っています。ぜひとも農業を再生させて、“春・夏・秋・冬の旬の食材を生かした日本料理”“旬と美と心とが融合された総合芸術”“会席料理”を世界無形文化遺産登録(政府方針)に向け、準備を進めていただきたいと思います。
漁業の面では自然環境の変化に伴い潮流の異変をきたし、又、海域の問題などで、海に囲まれていますものの年々漁獲量も減少しています。また、他国で健康に良いと、魚や寿司がもてはやされているため外国に行ってしまうこともあるようです。政府が日本領土の島々とこの海域を主張し守ってもらいたいと思っています。
さて今年(2011年10月31日)生まれた赤ちゃんが世界人口の70億人目となりました。2006年には66億人でしたので5年間に4億人の人口増加です。世界中では慢性的な栄養不足に直面している人々が沢山おり、特にアフリカでは50%以上の人々が飢えに苦しんでいます。約30万人の子供がビタミンA不足で失明し、その2/3の子供が死亡しています。このまま人口増加が進めば、食糧問題は更に深刻になるでしょう。
政府も現在、TPPへの交渉参加表明やAPEC・ASEANの問題など苦しい立場にあります。かつて(1996年)ローマで世界食糧サミットが開かれ、2015年迄には8億人の栄養不足人口を半減するという「ローマ宣言」が採択されましたが、2010年までに10%減らせた程度、資金不足のため改善は進んでいません。更にアメリカから始まった金融不安、次いでヨーロッパでの不安が追い打ちをかけています。
日本は今円高で苦しいといいながらも、かつてない程の飽食の時代を迎えております。しかし食べ物の40%が廃棄されているこの現状を正さねばなりません。私達も、もったいない精神で日々の暮らしの中で無駄を無くし、生きている命を頂いて生かされていることを自覚し、感謝して生活したいと思っています。
*かて飯 江戸時代の常食で、麦の中に大根などを加えて炊いたご飯。
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