あけましておめでとうございます。
皆様お健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

今年は私が生まれた年、昭和11年出版のお料理本(母の愛用した古本)の中から面白い「言い伝え」などをぼつぼつと掲載できたらと思っています。
初めにおめでたい鶴のお話を致します。

「小学館 日本大百科全書より」

織田信長に仕えてゐた料理人に86歳の老人がゐた。
「貴様は86歳といふに、頗(すこぶ)る達者だな。よく世間では、料理人はいろんな物を食い荒らすから短命だと云ふが、何か養生法でもあるのか。」信長が尋ねた。すると料理人は
「私は長年料理の職を勤めて居りますから、よく大鳥(鶴)を使ひますが、鶴の胃袋には何時(いつ)でも七分より入って居りませぬ。外の鳥は胃袋がはち切れるほど食(く)って居ります。私は此(こ)の鶴の胃袋に教へられましたがため、お陰で長壽(じゅ)を保って居ります。」と、かう答へたといふ。
 
鶴の子餅

鶴の卵に似せて作った紅白のお餅でお祝いに用いられます。

上新粉(うるち米)を湯でこねて蒸し、砂糖を加えて熱いうちにつきあげて作ります。すあま(素甘)といい、固くなりにくい餅として重宝されました。江戸時代に木場で誕生したともいわれています。
~私の感じること~

教室でこのお話をすると生徒さんは 「今日は鶴の胃袋に習って食後のお饅頭は後程いただきます。」と言って持ち帰ってしまいました。

お正月になると毎年、床の間に日の出と鶴のお軸が掛けられていました。曙の光がさし、鶴が舞い下りる構図で、父は子ども達に 「“鶴は千年、亀は万年”といって長生きなのでお正月に掛けるのだよ。」と、教えてくれました。 こんな訳で前回のおせちやお雑煮の中に鶴・亀を形取った品を幾つかお出ししました。

日本では古来より多くの野鳥を食べていましたが、鶴を食べていたと聞くと今ではびっくりしますね。釧路湿原に丹頂を見に行った私としては「あの美しい鶴を料理してしまった昔の人はどんな気持ちだったのかしら」と思ったりします。鶴は秋に日本へ飛来しどの種類もほとんど食用とされていたようです。資料によれば、すでに平安時代、料理に用いられていました。室町時代には美味な鳥・魚を「三鳥五魚」と定め料理に用い珍重していたと記されています。三鳥とは鶴、雉(きじ)、雁(がん)を指します。江戸時代に入ると、特に元禄の頃ですが、乱獲のためすでに鶴は貴重品となり、大名や上流階級の格式ある儀礼料理(本膳料理)にのみ用いられました。一例を挙げれば安土御献立の中に「つる汁」の料理名で出されています。

織田信長が武田氏討伐に功を上げた徳川家康を安土城でもてなした時の饗応膳の献立です。
 参考資料:三河武士のやかた家康館 特別展「安土御献立再現」