教室でこのお話をすると生徒さんは 「今日は鶴の胃袋に習って食後のお饅頭は後程いただきます。」と言って持ち帰ってしまいました。
お正月になると毎年、床の間に日の出と鶴のお軸が掛けられていました。曙の光がさし、鶴が舞い下りる構図で、父は子ども達に 「“鶴は千年、亀は万年”といって長生きなのでお正月に掛けるのだよ。」と、教えてくれました。 こんな訳で前回のおせちやお雑煮の中に鶴・亀を形取った品を幾つかお出ししました。
日本では古来より多くの野鳥を食べていましたが、鶴を食べていたと聞くと今ではびっくりしますね。釧路湿原に丹頂を見に行った私としては「あの美しい鶴を料理してしまった昔の人はどんな気持ちだったのかしら」と思ったりします。鶴は秋に日本へ飛来しどの種類もほとんど食用とされていたようです。資料によれば、すでに平安時代、料理に用いられていました。室町時代には美味な鳥・魚を「三鳥五魚」と定め料理に用い珍重していたと記されています。三鳥とは鶴、雉(きじ)、雁(がん)を指します。江戸時代に入ると、特に元禄の頃ですが、乱獲のためすでに鶴は貴重品となり、大名や上流階級の格式ある儀礼料理(本膳料理)にのみ用いられました。一例を挙げれば*安土御献立の中に「つる汁」の料理名で出されています。
*織田信長が武田氏討伐に功を上げた徳川家康を安土城でもてなした時の饗応膳の献立です。
参考資料:三河武士のやかた家康館 特別展「安土御献立再現」 |