次郎柿
 天海僧正、ある日、御前に於て柿を賜り、食べ終ってその種を懐中したので、家光公、御覽ぜられ「何にする」と仰せられると、僧正は「持ち歸って植ゑ候」と答へた。将軍「老人の益(えき)なきこと」と笑はれると、僧正は「一天四海ををさめられる御方は、かかる性急なる思召(おぼしめ)し然るべからず。程なくこの柿の生立ち上覽に供へん」とて退出。年を経て澤山の柿を献上された。家光公、その見事な様に「いづくの産物ぞ」とお尋ねあると、「これぞ先年拝受の柿の種の生長して實れるもの」と答へたので、将軍はじめその席にあった諸人悉(ことごと)く感服したと云ふ。
~私の感じること~

 昔から桃栗3年柿8年、梅は酸い酸い13年という諺(ことわざ)があります。年を経て献上された柿は種を蒔いてから8年以上経ってのことでしょうか。植木屋のおかみさんのお話では「若い頃、茶の湯の師匠から蝋梅(ろうばい)の種を3粒いただいて蒔いたところその一粒から芽が出て成長し、花をつけるようになったのは13年目だった」とのこと、昔から伝わっている教えは本当のようです。この天海僧正のお話はあせらずあきらめず根気よく子供の成長を待つようにという教えでもあるようです。

 さて、柿は東アジア原産ですが、温暖で雨が多い気候が適しているようで日本では古くから栽培されてきました。果実にはビタミンC、A・カリウム・ポリフェノールなどが含まれ栄養のオーケストラといわれています。又、柿渋と呼ばれるタンニンも含まれていますが、育種によって現在は渋味の少ない甘柿品種が作られるようになりました。代表的なものには富有、次郎、太秋などがあり熟柿(じゅくし)したものを生食します。
又、甲州百目などの渋柿は皮をむいて干し柿にします。この渋柿のタンニンはノロウイルスをも撃退する力があるそうですが、もろに食べたらたまりません。戦時中、母の実家に疎開していた昭和19年の秋(小学校2年)、囲炉裏を囲んだ15人(祖父母、伯父、伯母、いとこ、私達家族)で渋柿をむきました。こんなに赤い柿が渋いはずがないと思い「食べてもいい」と聞くと「食べてごらん」と伯父。すると全員が一斉に手を止めてじっと私を見つめていました。一口かじると舌の両側に渋がびっしりとまとわりついてべろ(舌)から取り除くのに必死。皆に大笑いされました。
軒先につるして晩秋から冬の保存用のおやつになるのでした。又、渋柿は焼酎などで渋抜きして甘くした柿を「わさし柿」と呼び、たる柿、あわし柿などがあります。現在はガスで渋抜きをしたものが出回っていますが、今も伝統的な手法で作られているものもあります。佐渡の八珍柿が有名です。

 戦後、実家に戻ってからは伯父から次郎柿と共に渋柿も送られてきました。すると母は大きなカメに糠(ぬか)を入れて、その中に渋柿を埋めていました。何日も何日も待った頃、私はそっと手を入れて柿の様子を計り、こっそり食べていました。薄皮を取り、つるんと口にすべり込ませると、甘くて甘くておいしかったこと。種がちょっと邪魔でしたが、この種の回りの透明な部分は特においしいのでした。

 ここまで書いて、私は「柿の種」と呼ぶお菓子は、きっと柿の種のこのおいしさを知っていた人が造ったのではないかと気になり始めました。そこで、柿の種の製造元を訪ね、辿り着いたお店が「浪花屋製菓」、名の由来を聞きました。大正時代、小判型の金型であられを作っていましたが、ある日、その金型をうっかり踏み潰してしまい、元に直らず、そのまま使っていると歪んだ小判型のあられになってしまいました。そんなあられを持って商をしていたところ、ある主人から、こんな小判はない、柿の種に似ていると言われたことがヒントになり、大正13年「柿の種」が誕生したのだそうです。私が「特許を取っておけば良かったですね」と言うと「初めは名がなくて・・・、それをしなかったからこそ、現在こんなに広く人々に喜ばれています」と、答えが返ってきました。この柿の種とピーナッツは絶妙な組合せですね。昨秋落花生(ピーナッツ)の収穫を体験しました(写真掲載)。

柿の種
落花生収穫体験

 柿のお話に戻ります。渋抜きしたあんぽ柿では福島県伊達地方や埼玉県秩父地方が有名ですが、近くは豊岡のあんぽ柿もとても美味ですね。他にころ柿(枯露柿)としては石川県能登地方の自生品種(最勝柿)のつるし柿が有名ですが、私達には長野県伊那地方の市田柿が身近です。
さて、浜松市の特産品の次郎柿は浜北区で沢山生産されています。次郎柿の生産地の1位は愛知県豊橋市で静岡県は2番目です。でも名の由来が静岡県森町の松本治郎からということなのでやはりこの地方が生産地といいたいですね。治郎氏が拾った幼木を持ち帰り植えたものが始まりとされ、当初はじんろう柿と呼ばれたと記されています。

同窓とフルーツパークにて

 今年、大学のクラス会を浜松でと言われ「たきや漁はいかが」と聞くと「生臭いからいや」と「柿狩りは」「いいわね~~。楽しそう」と、言う声。山梨県、富士市、名古屋市と私の4人の幹事で昨秋フルーツパークへ下見に出掛けました。秋の日に照り映えた柿は黄金色です。果実は大きくて歯ごたえがあり、豊かな甘味があります。駅から遠すぎるとの理由で取り止め、「いいわね~~」と言っていたクラスメイトに次郎柿を箱詰めにして送りました。「千疋屋に行ったらびっくり。1個千円の柿よ。立派ね~~」と、電話の声。まさに神様からの贈り物です。

 見事な柿はそのまま頂くのが本来なので料理にするにはもったいないのですが、昔から伝わる白酢和えにしてみましょう。柿の木の下ではコンニャク芋の収穫期でもあります。又、田のくろ豆*と呼ばれる大豆も収穫されます。秋の佳き日に手間をかけたこんにゃく作り・豆腐作りをして、実った柿と一緒に和えれば大変なご馳走であったのです。
田のくろ豆*・・・大豆(枝豆)は昔、田んぼの畔(あぜ)に植えたので、田の畔(くろ)豆と呼ばれました。枝豆の熟したものが大豆です。

 次郎柿とこんにゃくの白和え  ~~彩りに小松菜を加えました~~

 
次郎柿とこんにゃくの白和え
材料(6人分)
  次郎柿
・・・
1個
 
こんにゃく
・・・
1枚
  小松菜の茎
・・・
1/2朿
  吸地
・・・
適量
  豆腐
・・・
1丁
当たり胡麻
・・・
大1と1/2
・・・
小2
砂糖
・・・
大2
・・・
大1と1/2
・・・
小1/2弱

 

① 柿は1cm角のさいの目に切る。
② こんにゃくは3cm長さの短冊に切って塩ゆでし、濃いめの吸地で煮しめておく。
③ 小松菜の茎は塩ゆでして3cm長さに切って吸地に浸しておく。
④ 豆腐は半分に切って水から茹でる。豆腐が揺れる程度で盆笊に布巾を敷いてとり、60%に絞り、裏ごしする。
⑤ 当たり胡麻はすり鉢に入れ水を加えて香りがでるまでする。豆腐を入れてすり、調味料を入れてすり混ぜ白酢を作る。
⑥ ⑤の白酢に①②と③の水けを切って混ぜ、鉢に盛る。
 
 次郎柿と秋の実りのすだち酢和え

大極殿(平城宮跡)
曲水の宴(再現)

一昨秋(平成22年11月)平城宮遷都1300年に当り奈良に行ってきました(写真掲載)。
柿、生湯葉、大和芋など奈良にゆかりのある材料を使った和え物を、師匠は「奈良和え」と呼んでいました。

今回、私は秋の野山の幸の素材を生かしてさっぱりと仕上げてみました。
 
次郎柿と秋の実りのすだち酢和え
材料(6人分)    
  次郎柿
・・・
1個
 
・・・
5個
  砂糖水
・・・
適量
  松茸
・・・
2本
  新銀杏
・・・
6粒
  生平湯葉
・・・
1枚
  吸地
・・・
適量
A
すだち絞り汁
・・・
大2と1/2
米酢
・・・
大2
薄口醤油
・・・
小1
砂糖
・・・
大1と1/3

 

① 柿は短冊に切る。
② 栗は鬼殻のまま少し茹でて皮を柔らかくしてからむき、次に渋皮をむいてスライスして、崩れないように薄甘く煮る。
③ 松茸は石突きを削り取り塩水に少し浸してから軽く洗う。5ミリ厚さにスライスして焼き、長さを半分に切る。
④ 銀杏は鬼殻を割って取り除き、渋皮のまま塩茹でした後、水に取り皮をむき、2つに切る。新銀杏は翡翠色で美しい。
⑤ 生湯葉は一口大の角に切り、二番だしに吸味をつけて温める程度に煮る。
⑥ Aの調味料を合わせ、①~⑤を和え、鉢に盛る。

注:栗のアク抜きはみょうばん水に漬ける。
  煮るときはくちなしの実を入れる。