北高生女子制服として「女子標準服」が決められていた(25年に決定)が、今の制服のような統一規格ではなく、もっとゆるやかな規則だった。女子生徒の認識も「だいたい、こんな服装にしてください」という学校側の希望程度の理解で、「冬は紺色のスーツ、夏は白いブラウスと紺色のスカート、春や秋にはベストを着る」を標準に、それに準じていれば問題がないと感じていた。
当時の「標準服」(昭和28年)
実際には、グレーのスーツ、チェック柄のスーツなどの人もいて、父親のスーツや母親の洋服を仕立て直した人も多かったと思う。色柄のブラウス、カーディガン、セーター、ジャンバースカートなども、華美にならない範疇で自由に着ていた。
物資が不足していたので、みんなの服装がバラバラでも何の問題もなかった時代であった。冬に真っ赤なカーディガンを着て登校していた女子生徒は「少し鮮やかすぎるのでは」と先生に注意されたと聞いたが、女子の服装や髪型が学校側から問題視されることはなかった。
男子は学生服と学帽で、北高の学帽には白いラインが二本。当時はラインのテープを後ろで結び長くたらすのがはやっていた。
先輩方から見せていただいた当時の写真には、自分の判断と都合で着ているらしいさまざまな服装の女子生徒が写っていました。髪型もオカッパから三つ編みまでさまざまでした。
制服が正式に決められた後も続く「基本的には服装や髪型は自分の判断で決める」という北高女子の気風は、この当時に培われたのかもしれません。
女子だけではなく、制服や髪型や持ち物など、個人に関することに細かな規約がない北高のルーツを知った思いです。
 
 
「標準服」を着て当時の佐鳴湖で(昭和29年)
制服は「標準服」という目安があったが、カバンや靴や文房具などには規則がなかった。当時は、カバンや靴は、親がヤミ市で買いそろえなければ入手できないような品物だったので、各人各様だった。
ほとんどの母親が専業主婦だったため、モノもお金もなかったが、愛情は今よりもたくさんあったように思う。玄関にカギをかけている家庭が少なく、みんなで助け合うコミュニティが自然にできていた。
当時の写真には、運動靴の人、布製らしき靴の人、夏服にサンダルの人など、お話の通りのさまざまな履き物が写っていました。どんな靴や服装であれ、みなさん、とても楽しそうなのが印象的でした。
昔は希望をもっていたから…、今よりは良くなる…という強い思いをもち未来に夢を託していたから、というお話が明るい写真から伝わってきました。

 
 
登山部の仲間たち(昭和27年)
授業や学校行事は男女平等が原則で、女子だけの授業というものは、当初はなかったと思う。すぐに、保健・体育の授業は女子だけで行われるようになった。家庭科の授業はずっと後の事になる。
クラスとしては、女子が5人〜10人ぐらい(学年によって人数が違う)いる「男女クラス」と男子だけの「男子クラス」に分かれていた。
当時は、大学のように、すべてのカリキュラムを生徒一人ひとりが組むシステムだったので、クラスメイトとは朝晩のホームルームと昼食時に顔を会わすだけで「授業中は女子ひとりだけ」のような情況もあった。それが不都合とは思わなかった。まわりが男子ばかりでも「異性がいる」という認識はなく、性別を無視して男子の存在を「空間」のように受け入れる感性があったように思う。また、男子が女子のことを悪く言ったりいじめたりすることはなく、当時の男子はみんな紳士的だったと思う。
 
 
 
 
スキー訓練(昭和28年)
当時「総ズラ」という一種の授業ボイコットが流行っていたそうです。授業内容などに不満がある先生に対し、その授業をクラス全員で拒否してズラかる=総ズラ=で抗議をしたとか。その連絡は、男子の間でコソコソ、ヒソヒソと交わされ、「次の授業は総ズラだ」となると、男子生徒が一斉に消えてしまい、教室に女子だけがポツンと残ったことがあったそうです。
そんな時に男子から「なぜ女子は協力しないのだ」という苦情があり、その後は「総ズラ」の連絡が女子にも伝わるようになって、みんなでサボッたという楽しい思い出話をうかがいました。ちなみに、消えた生徒はどこで何をしていたのか…。ほとんどは学校の図書館で自習などをしていたようです。なんでも男女平等。ヤンチャな抗議も男子とワイワイ楽しんでしまう気質は、今も同じもしれません。
 
 
運動会(昭和29年)

運動会や文化祭(学校祭)などの学校行事、また正規授業以外の水泳訓練、スキー訓練など、なんでも男子と一緒に行った。男子がいて困ったことはないが、水泳訓練などは、教師と同じ海の家を着替え場所に使わせてもらえるなど、女子だけが優遇された事はある。
「男子校の中の女子」という意識はなく、性別を越えた「同窓生同士」として楽しい思い出がたくさんある。
北高の運動会は、学年縦断のクラス対抗になり、各クラスを象徴する応援オブジェ作りが伝統的作業になっていますが、そのルーツは新制高校発足時からあったようです。当時の写真にもおおがかりなオブジェがありました。
また、男子が女装をする仮装大会も、当時から面々と受け継がれているようです。数少ない女子生徒にもかかわらず、男子とともにのびのびと青春を謳歌されているようすが当時の写真から伝わりました。
当時は、先生方も貧しかった。先生も生徒も、みんなが裕福ではなかったが不幸ではなかった。今からは全てが良くなる…という「希望」がみんなにあり、いじめなどはなかった。先生方も教育に熱心で、今よりも人間的な教育を受けたように感じる。
北高時代の思い出は、楽しい事が多く、図らずも女子だけ優遇されたことはあるが、女子のために損をしたような性差別の記憶はない。
社会へ出てからの方が、いろいろな意味での性差別を感じたが、北高で多くの男子と高校生活を過ごした体験がプラスになったと思う。そして、干渉しない、干渉されたくないという、良い意味での個人主義をしっかり身につけたように思う。

 
 
 
       
 
富士山登山で仮装をして記念撮影(昭和28年)
※女装をしている男子と男装の女子がいます。わかりますか?
「大勢の男子と高校生活を過ごしたことはプラスだった」というお話は、多くの先輩方からうかがいました。北高女子が感じる「北高の良さ」の一つなのではないでしょうか。
今では、完全な男女共学なので少し違うかもしれませんが、「男子校の伝統を受け継ぐ北高の良さ」を先輩方が感じ、その経験によって、その後の人生を男性に臆することなく、男性を非難することなく、男女平等の自然体で豊かに過ごされている、と感じました。
 
 
文責:山中圭子
写真提供:内山安代・中山宏枝
遠州鉄道株式会社
 
     
     
   
     
 

「男女平等」が貫かれた北高で、女子だけの同窓会支部・「しらはぎ会」が設立されたのは、母校創立八十周年、そして女子が入学して二十年の節目の年でした。女子部設立については、半世紀近くも昔の、女性蔑視が残る当時の時代背景や社会事情があったようです。
裏話として、当時は同窓会総会へ参加する女子同窓生が極めて少なく、そのために「宴会の接客係」と間違われた事があったそうです。その事件が発端で、女子だけが集い、旧交を温め、交流を楽しむ「女子部」が誕生したとか…。真偽のほどはわかりませんが、北高女子の気質を考えると、なぜか、現実味がある話です。
設立動機はともかく、しらはぎ会は、設立当初から女子の親睦の枠を越え、『古典講座』『中国語講座』などの自己研鑽活動を行ってきました。十周年には『カウンセラー養成講座』が記念事業として行われ、同窓会本部の要請で『結婚相談室』が誕生しました。
さらに、二十周年には規約改正を行い「相互研鑽により社会への貢献をすること」を目的に加えています。「社会への貢献」を謳い、実践する同窓会支部はしらはぎ会だけです。
先輩たちが、設立当初から男子同窓会とは一味違う活動を模索し、各会長がさまざまな試みを続け、しらはぎ会の今日があります。

しらはぎ会だより「創立二十周年記念号」に、特集として「来し方・行く末 しらはぎ会の行方」という、しらはぎ会の自らのアイデンティティーを問うアンケート調査がありましたので、それを載録させていただきました。
十五年前の先輩たちの結論です。

文責・山中圭子

 
 
 
     
 
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