11月12日に北高校舎内の生徒ホールで行われた重子さんのトークショーのダイジェストです。来られなかった方もいらした方もぜひお楽しみください。
製作:23回 山中

その1

 しらはぎ会会長・高木美幸さんの短い開会のあいさつの後、鈴木重子さんが紹介されて舞台に登場。
重子さんは濃い紫色のドレスを身にまとい、スッと舞台中央に立つと突然Imaginを歌い始めます。それが重子さん流のごあいさつでしょうか。
多少ざわめいていた会場が一瞬でシーンとし、みんなの視線が重子さんに集中します。スラリと背が高い重子さんは、人々の注視の中、あでやかなオーラを輝かせ、心にしみる声で歌い上げていきました。
一曲を歌い終わると、さりげなくピアノ伴奏者を紹介します。
ピアノ伴奏は渡辺かづき氏。
重子さんといつも一緒にコンサート活動をなさっているそうで、二人の息がピッタリあっていました。
そこで司会が高木会長から重子さんの同期生になる井口亜由美さんにバトンタッチ。
第1部の「トーク」が始まりました。
井口:久しぶりの北高の印象はどうでしたか?
重子:卒業してから北高へは来ていないんですよ。40歳になったばかりだから、
もう20年ぶりぐらいかしら。この校舎はできていなかったし…。なつかしい母校が新しくすばらしい所になっていたので感動してしまいました。

井口:ほんとうに北高は変わりましたね。 ところで今日は、重子さんのなつかしい写真を用意したんですよ。
(窓際後方に用意されたスクリーンに写真が写る)
この写真、わかります。

重子:わかりますよ! 卒業式の後に撮した写真ですよね。 なつかしいなぁ。
確か33ホームルームでしたね。私達の頃は、9クラスあったんですよね。今は…? 
エッ、10クラスもあるの。この写真を見て、皆さんに私がわかるかしら?

(会場から、後の右、後の左など言葉が飛ぶ)
重子:私は、後の列の左端なんですよ。
(写真係りがペン先で重子さんを指す)
重子:そうそう、それが私。
井口:重子さんは高校時代からあまり変わらないですね。
重子:そうですかぁ? 井口さんもここにいるんですよね?
井口:私はかくれちゃってるから。
(写真係りがペン先で井口さんを指す)

重子:ほんと、陰になっちゃってる(笑い)
井口:次の写真にいきましょう。これ、わかります。
重子:わかります、わかります。運動会の時の写真ですね。私、振り付けをした記憶がある…。
井口:キャッツアイでした。ちょっとむずかしい振り付けで、重子さんが踊ると素敵なのに、私なんか、なかなかサマにならなくて。
子:いえいえ、今考えると、恐ろしいことをしてしまいました。たしか、みんなで毎日練習しましたよねぇ。
井口:ええ、たくさん練習しました。写真の通り、重子さんの踊りはキュートでしたよ。
重子:キュートを通りこしてアレは恐い…。

井口:ところで、北高時代の印象って、どんな感じですか。
重子:一年中、最初から終わりまで、行事ばかりだったような記憶があるんです。
私、40歳になった今も「今日はバスケットボール大会だから応援しに行かなきゃ…」という夢をみて飛び起きたりするんです(笑い)。
(会場爆笑)
井口:三年生の時HR対抗は、全校で10位で悲しかったですよね。
重子:そうそう、三年生なのにねぇ…。
井口:これ、覚えてます。
(カセットテープで合唱している歌を流す)

重子:アア、合唱大会の時のテープ! なつかしいなぁ!
井口:「みちのく」を歌ったんです。重子さんはソプラノパートのリードでしたよね。
重子:そうです。あれは三年生の十一月にあったんですよね。もう受験勉強真っ最中なのに、朝も昼休みも放課後も毎日練習して、これだけは優勝しましたよね。はっきり覚えていますよ。
重子:私、高校時代のことはよく覚えているんです。 ここへ来てすぐ「私のこと覚えている?」って声をかけてくれた女の人がいたんです。顔に見覚えはあるけど、どなたかわからなかったんですね。その方、売店のオバチャンだったんです。
高校の頃、私、よく売店へ行ったんです。焼きそばパンとか、珍しいメニューがたくさんあって大好きだったから。食堂のメニューも覚えていますよぉ。私、食べることが大好きなんですよね(笑い)
井口:重子さんは軽音部でバンドを組んでいましたよね。名前を言ってもいいですか。
重子:いいですよ(笑い)。
井口:たしが「スケバンド」でしたよね。
重子:そうなんです。女性だけのバンド。今、みんなで集まって、1、2、3で音を出した時の喜びを思い出しました。なつかしいなぁ。今の原形はそのあたりにあったのかなぁ…。

井口:話は変わりますが、東京での住み心地はどうですか。
重子:18歳で東京へ行って、もう20年も住んでいるんですねぇ。最初の10年間は、東京は便利だしおもしろかったんです。住んでいるうちにだんだん緑のある所がいいと思うようになって、最初は山手線の内側だったのに、今は武蔵野のあたりに住んでいます。 生まれて10何年も住んでいた時には思わなかったけど、浜松はいい所だと思うようになってきましたよ。出身が浜松というと「良いところですねぇ」と皆さんに言われるんです。気候は温暖だし、おいしいものは豊富だし…。東京に長く住んで、浜松の良さを見直すようになってきました。
井出:重子さんの「HAND IN HAND」も緑を大切にしようと歌った曲のように思うのですが、重子さんは緑に対して特別 な思いがあるんですか。
重子:小さな子どもの頃、ほんとうに小さな子どもの頃、母が仕事で外へ出ていたので、ヘレンケラーのサリバン先生のような山口先生という方が、しつけをしながらいろいろな事を教えてくださったんです。よく公園などへ連れて行ってくれて、自然のありようやその性質、自然とのつきあい方などを教えてくれたんです。ほら、よぉく見てね、お日様があたる所のお花と、日陰のお花とは咲き方が違うでしょう。どうしてかわかるかなぁ…、なんて言って、子どもにも理解できる言葉で植物や自然のこと、花の名前や性質なんかを教えてもらったんですよ。それが今のベースになっているみたいです。自然に、歌の中に緑のこと、植物のことなどが出てくるんです。
井口:そうでしたか。 次に、アメリカでの仕事も多いと思いますが、英語についてお聞きしてもいいですか。 重子さんは、高校時代から英語の発音がとってもきれいだったけど、休みの日などに床をみがきながら床と英語で会話をして、英会話を上達させたと聞いたことがあるんですけど。
重子:英語の勉強は、皆さんと同じように10代の始めからです。
私は、語学が大好きなんです。言葉を学ぶということは、その国の違う文化や考え方を学ぶことです。言葉を学ぶことで、新しい世界を知ることができるんです。耳から物事を学ぶことが好きなので、語学も耳から覚えます。それがアメリカで役立ちました。
今は、家にいると、家の観葉植物に名前をつけ、たとえば小さなヤシ、テーブルヤシかな、それはヤシゲって名なんですけど、その子たちと毎朝、英語で話し合っているんです。うちの植物たちは、みんなバイリンガル(笑い)。最近、私がポルトガル語を勉強し始めたからトリリンガルかな。
言葉を学ぶということは、それを使って相手に対して何を語るかが大切だと思っています。だから、思ったことがポンッと出るように、普段から言葉通 りをなめらかにしておくんです。植木たちは結構応えてくれるからびっくりしますよ。ぜひやってみてください。オススメの英会話上達法ですよ。

井口:話は変わりますが、東京での住み心地はどうですか。
重子:18歳で東京へ行って、もう20年も住んでいるんですねぇ。最初の10年間は、東京は便利だしおもしろかったんです。住んでいるうちにだんだん緑のある所がいいと思うようになって、最初は山手線の内側だったのに、今は武蔵野のあたりに住んでいます。 生まれて10何年も住んでいた時には思わなかったけど、浜松はいい所だと思うようになってきましたよ。出身が浜松というと「良いところですねぇ」と皆さんに言われるんです。気候は温暖だし、おいしいものは豊富だし…。東京に長く住んで、浜松の良さを見直すようになってきました。
井出:重子さんの「HAND IN HAND」も緑を大切にしようと歌った曲のように思うのですが、重子さんは緑に対して特別 な思いがあるんですか。
重子:小さな子どもの頃、ほんとうに小さな子どもの頃、母が仕事で外へ出ていたので、ヘレンケラーのサリバン先生のような山口先生という方が、しつけをしながらいろいろな事を教えてくださったんです。よく公園などへ連れて行ってくれて、自然のありようやその性質、自然とのつきあい方などを教えてくれたんです。
ほら、よぉく見てね、お日様があたる所のお花と、日陰のお花とは咲き方が違うでしょう。どうしてかわかるかなぁ…、なんて言って、子どもにも理解できる言葉で植物や自然のこと、花の名前や性質なんかを教えてもらったんですよ。それが今のベースになっているみたいです。自然に、歌の中に緑のこと、植物のことなどが出てくるんです。